3.やりたいことは会社の外にあった
石巻復興支援ネットワークの事務局長として活躍していた渡部さん。海外の仕事ができるという理由で商社に就職したものの、満たされぬ思いを抱いていました。そこでソーシャルセクターのイベントなどに関わるようにな
東日本大震災・被災地の記録を未来へ
現場の記録と支援のリアルを伝えるカテゴリーです。
石巻復興支援ネットワークの事務局長として活躍していた渡部さん。海外の仕事ができるという理由で商社に就職したものの、満たされぬ思いを抱いていました。そこでソーシャルセクターのイベントなどに関わるようにな
石巻復興支援ネットワークの事務局長として活躍していた渡部さん。大学時代は、わくわくすることに挑戦したことで人生が動き始めました。就活が目前に迫った大学3年で休学をして海外へ行きます。最初に滞在したオー
東日本大震災のボランティアで来た石巻に残り、石巻復興支援ネットワークの事務局長として活躍していた渡部さん。7月に団体を辞めて、実家へ帰るというのでお話しを頂きました。渡部さんは、大学で失恋したことをき
東日本大震災後、子供たちの心のケアをするため「にじいろクレヨン」の活動を始めた柴田さん。これまで2年間の活動を通して子供たちケアをしていたつもりが、その関わりの中で柴田さん自身も救われてきたのだといい
東日本大震災後、子供たちの心のケアをするため「にじいろクレヨン」の活動を始めた柴田さん。2年半にじいろクレヨンの活動を続けたことで、遊び場に来る子供たちは笑顔を見せるようになったばかりか、他人の話を聞
東日本大震災後、子供たちの心のケアをするため「にじいろクレヨン」の活動を始めた柴田さん。石巻には130の仮設住宅団地があって、にじいろクレヨンはその内の8団地で活動をしています。柴田さんは支援の届いて
東日本大震災後、子供たちの心のケアをするため「にじいろクレヨン」の活動を始めた柴田さん。震災は大人だけでなく、子供たちの心にも大きな影響を残しました。にじいろクレヨンは遊び場づくりという活動を通して、
東日本大震災後、子供たちの心のケアをするため「にじいろクレヨン」の活動を始めた柴田さん。活動に賛同する多くのボランティアの支援を受けて、子供の遊び場づくりは石巻や東松島の避難所へと広がっていきました。
東日本大震災後、子供たちの心のケアをするため「にじいろクレヨン」の活動を始めた柴田さん。避難所では子供たちが声を出すこと、体を動かすこと、親に甘えることなど、いろいろガマンを強いられる生活をしていまし
東日本大震災後、避難所での遊び場づくりをきっかけに「にじいろクレヨン」の活動を始めた柴田さん。震災の当日は消防団の活動で津波に遭遇し、命からがらに逃げのびて避難所へ。家族はみんな無事で安心したのも束の
東日本大震災の当日、消防団の活動中に津波に遭遇し、命からがらに避難した柴田さん。震災前は石巻で画家として活動しながら、子供たちにお絵かきを教えてもいました。避難所に入ってから、いろいろガマンをしている
学生時代のひきこもり経験を経て、東日本大震災後の石巻で教育系のNPOを立ち上げた門馬さん。被災した子供たちの姿を見てTEDICの活動を始めたことから、人生は激変しました。最後に、ひきこもり経験から学生
東日本大震災のあと、仮設住宅の支援や復興起業家の育成に10年間携わってきました。 現在は、現場で積み重ねてきた経験を「記録」として残し、次の世代へ伝える活動を続けています。 このサイトでは、復興ボランティア学の講座やフィールドワークの記録をまとめて公開しています。