6.遊び場づくりを続ける意義(2013年にじいろクレヨン)

にじいろクレヨン

2013年6月18日 にじいろクレヨン 柴田滋紀 Part6

東日本大震災後、子供たちの心のケアをするため「にじいろクレヨン」の活動を始めた柴田さん。石巻には130の仮設住宅団地があって、にじいろクレヨンはその内の8団地で活動をしています。柴田さんは支援の届いていない子供たちの居場所をつくるために、にじいろクレヨンだけでなく、子供支援に取り組む人や団体が増えていくことを望んでいます。

子供の居場所を増やす活動を拡げたい

にじいろクレヨン活動状況
にじいろクレヨンが活動している8カ所の仮設住宅

最後になりますが、これからの課題と支援のお願いということです。皆さんご存じかもしれませんが、今石巻は仮設住宅で130の団地があります。7,000人がまだ住んでいます。そのうち子供が1,500人ぐらいいます。そのうち、にじいろクレヨンは8カ所しか行けていません。

私たちの活動は、一生懸命やれるところをやっています。そこで思うのは、私たち以外にも同じように子供支援の活動をされている団体さんもあるのですが、そういう団体さんがたくさんあったり、この大学の山崎ゼミでやっているプレーパークのような活動がたくさんあれば、子供たちは居場所がたくさんできます。

いま子供たちにとっての遊び場、安心して遊べる場の絶対数が、石巻では非常に少なくなっています。プレーパークは専修大学だけではなくて、中瀬という漫画館のある所で開催されていたり、開成でやっていたり、北上のほうでも開催されていたり、ポツポツ出てきています。それはすごく意義のあることで、子供たちを救っていることになります。

笑わない子供が笑顔を見せてくれるようになりました

柴田滋紀

にじいろクレヨンを2年間やってきて、私の感じているところは、まず子供が笑顔を見せてくれるようになりました。たとえば小学校3年生の女の子の話です。最初、にじいろクレヨンへ親御さんが連れてきたときは小学校1年生でした。その子は、最初私が見たときに表情がなくて、能面みたいな顔をしていました。

最初はもちろんお母さんとずっと一緒です。でも、1時間半ずっと一緒にいるような感じで、話し掛けたり、簡単な遊びをしたり、それを毎週、毎週くり返しました。そうしていくうちに、だんだんと話ができるようになって、お母さんがいなくても大丈夫なようになって、ほかの子供とも遊ぶようになって、徐々に徐々に溶け込んでいきました。今はもうにこにこしていて、実はその子は社交的な子だったのかなという感じなのです。

その子には、何が震災のときにあったのかというと、お父さんお母さんは無事だったのですが、仙台とか遠くに勤められていて、震災のときはまだ幼稚園だったので幼稚園にそのまま避難をしていて、1週間親御さんと会えなかったそうです。その影響があってのことなのかと思うのですが、表情がなくなっていたみたいです。

それが少しずつ信頼関係できてきて、今となってはすごくいつでもにこにこして、行けば走ってきて「あー、だっこ」という感じで遊んでくれる女の子になっています。

動画Part6(にじいろクレヨン 柴田滋紀)

やっさん

東日本大震災の仮設住宅支援、復興起業家育成に関わってきました。大学では、震災復興を考える講座やワークショップを実施しています。ここでは、復興ボランティア学講座の記録をまてめて、公開しています。

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やっさん

東日本大震災の仮設住宅支援や復興起業家育成に10年間携わってきました。現在は震災復興に関する講座やワークショップを実施しています。ここでは、復興ボランティア学講座の記録をまとめて公開しています。

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