もくじ
2013年6月18日 にじいろクレヨン 柴田滋紀 Part2
東日本大震災後、避難所での遊び場づくりをきっかけに「にじいろクレヨン」の活動を始めた柴田さん。震災の当日は消防団の活動で津波に遭遇し、命からがらに逃げのびて避難所へ。家族はみんな無事で安心したのも束の間、避難所での困難な生活が始まります。
命からがら避難所へたどりつきました
1番目の震災直後のお話しです。私自身が消防団だったので、津波からは走って逃げました。いろいろ避難活動、救助活動などを一晩やって、消火活動もして、結局は避難所に入りました。
これが私の乗っていた消防車です。避難誘導をしていたときに乗っていた消防車が後から見つかりました。私は走って逃げられたので大丈夫だったのですが、このまま乗っていたらやばかったのかなという感じです。
たまたまうちの家族は全員無事で、かつ震災の次の日に家族全員と合流することができて、そのまま石巻高校の避難所に入りました。避難所は、ご存じの方もたくさんいると思いますし、実際専修大学さんも避難場所になって、たくさんの方が避難所生活をされていたので、いろいろ聞いているかと思います。
我慢が日常の避難所生活
大学は最初から水があったようですが、私の行った石巻高校は水もないし、電気もありませんでした。ただ、ストーブがあったので温かかったです。電気がないから電話ももちろん通じない状態です。
私のいた石巻高校で1,600人が避難していました。だいたい1畳に2人ぐらいの割合で人が入っていました。もしここが石巻高校だとしたら、この場所に400人ぐらいいるような感じかな。200~300人ぐらいが入って寝場所を確保するような感じでした。そういう所に大人はもちろん子供も避難して、我慢した生活をしていました。
だいたい1週間ぐらい、2週間かな、水も電気もない状態でした。トイレは、プールから水をくんできたりして何とか大丈夫だったのですが、食べ物ももちろんなくて、石巻高校さんからもらったせんべいを1人1枚でしのぎました。
コメント