東日本大震災・石巻|仮設住宅で進行した“友人ゼロ”という生活再建の壁

復興を考える

仮設住宅の孤立は”声のないまま”進行する

東日本大震災から1年が過ぎた頃、石巻の開成・南境地区には巨大な仮設団地が形成されていました。整然と並ぶプレハブの街並みは、遠目には被災者の生活に落ち着きが戻っているかのように映ります。しかし、その外側の印象とは裏腹に、住民の心の内側では、誰にも気づかれないまま「孤立化」が進んでいました。

仮設住宅は一時的な生活の安全を確保するうえで一定の役割を果たしました。ただ、人が暮らすために本来必要な、人と人とが関わり、支え合うための環境は整いきれていません。お互いの姿が見える距離にいるのに、声をかけるきっかけがつかめない。壁一枚の向こうに生活の気配はあっても、その暮らしがどんな表情をしているのかが分からない。仮設という空間は、物理的な近さと心理的な遠さが同時に存在する特別な環境だったのです。

2012年に実施された実態調査では、こうした「見えない孤立」の実態が数字として浮かび上がりました。石巻市開成・南境地区に建設された仮設住宅全1882戸を対象に調査票が配布され、回収されたのは385枚。回収率20.5%という数字には、回答を寄せた住民の切実さと、その暮らしの重さが刻まれていました。

震災直後、避難所で肩を寄せ合いながら支え合っていた人々は、やがて別々の仮設住宅へ移っていきました。震災前に暮らしていた地域でのつながりと、避難所で生まれたつながり。その二つがいったん途切れたうえで、新しい生活が始まったのです。仕事と住まいの再建に取り組みながら、さらに新たなつながりをつくり直すことが求められ、その負担が被災者の心の余裕を確実に削っていきました。

孤立は大きな音を立てて迫ってくるものではありません。日々の暮らしの隙間に入り込み、少しずつ深まり、気がついた時には心の動きを重くしている。仮設住宅で起きていたのは、まさにそうした「声なき変化」でした。この孤立の影をいかに減らし、もう一度、地域の中に共助の火をともしていくのか。そこにこそ、仮設住宅の生活再建が直面していた大きなテーマがありました。

仮設住宅で起きていた「友人ゼロ」という現実

あいさつがあっても「深い関係」が育たない

調査結果から見えてきたのは、住民同士のつきあいがごく表層的なレベルにとどまっている構造でした。近所づきあいの程度をたずねると、同じ棟の住民同士では「あいさつをする程度」が35.7%、「立ち話をする」が26.7%でした。さらに、他の棟の住民との関係についても「あいさつをする程度」(32.4%)、「立ち話をする」(27.0%)が中心でした。

仮設住宅への入居が始まって約1年が経過した2012年8月時点での近所づきあいの程度は、2011年8月の調査結果と比較して改善が見られます。他の住民を「ほとんど知らない」と回答した住民の割合は、震災前の調査時の23.6%から、平均15.7%(同じ棟と違う棟の平均)に減少しました。
しかし、「自宅や相手の家で話をする」といった深い付き合いに踏み込んでいる人は、同じ棟でも8.5%、他の棟でも9.6%にとどまっています。日常的な顔見知りは増えているものの、「親しい人」と呼べる関係にはなかなか届かないことが分かります。

こうした状況を最も端的に示しているのが、43.0%の住民が「新たな友人・知人がいない」と回答している事実です。あいさつや立ち話を超えて、信頼できる相手や、気軽に相談できるまでには、関係が育っていないことが、数字から読み取れます。

「誘われれば行く」が示す、共助の芽

住民交流イベントへの参加状況をみると、29.2%の住民が「全く参加していない」と答えていました。7割近くの住民が何らかのイベントに参加した経験を持つ一方で、およそ3割は一度も参加していない。この差は、コミュニティから取り残されやすい層の存在を示しています。

一方で、住民がつながりを望んでいることも、同じ調査から見えてきます。自治会活動への参加意欲を見ると、46.4%の住民が「声をかけられれば参加する」と答えています。この割合は震災前の26.3%から大きく増加していました。自発的に活動に関わる意欲はないが、その一方で「誘われれば行く」という人が多くいるのです。

イベント参加経験のある住民に、参加のきっかけを尋ねた項目でも、この傾向ははっきり現れています。「1人で参加した」「知人・友人を誘って参加した」といった積極的な参加が160件、「主催者や友人・知人に誘われて参加した」という回答が152件で、両者に大きな差はありませんでした。この結果は、住民のコミュニケーションを促すうえで、誰かが声をかけるという行為がきわめて有効であることを示しています。

催しが続くと、人は少しずつ外に出ていく

団地内でのイベントには70.8%の住民が参加経験ありと回答しており、多くの人が情報収集や交流の場として活用していました。参加意欲をたずねた項目では、337件の回答のうち、「興味のある催しがあれば参加したい」という声が253件を占めており、「内容さえ自分に合っていれば外に出たい」という前向きな気持ちがうかがえます。

具体的な催しとしては、「手芸教室」「ものづくり教室」「DIY教室」といった趣味の場が135件と最も多く、「運動・体操」が62件で続いていました。からだを動かす場や、ものづくりを通じて誰かと並んで手を動かす場は、会話が生まれやすく、「はじめまして」の壁を越える助けにもなっていました。

それでも「友人ゼロ」が続く理由

それでもなお、仮設住宅の生活環境は深い関係を築くことを難しくしていました。前述の通り、入居後に「新たな友人・知人がいない」と答えた住民は43.0%にのぼります。近所づきあいの程度を見ても、「あいさつをする程度」と「立ち話をする」を合わせた割合が、同じ棟では62.4%と大半を占め、そこから一歩踏み込んだ関係へ進む手前で止まってしまっている様子がうかがえます。

その背後には、仮設住宅特有の住民構成があります。世帯主の61.0%が60代以上を占めるなど高齢世帯が多く、単身世帯と夫婦のみの世帯が55.8%という、小規模世帯中心のコミュニティになっていました。もともと暮らしていた地区もさまざまで、震災以前からの「ご近所づきあい」のように、関係を深めることが難しい人も多くいました。

孤立と不安は、住民の心身の状態に深く影響していました。自由記述には、「頭が変になりそうだ」「死んだ方がましだったと思うことがある」といった、精神的な疲弊をうかがわせる言葉が並んでいます。こうした声は、経済的な行き詰まりや先の見えない不安と強く結びついていました。

「仮の住まい」だからこそ揺れ続ける土台

仮設住宅はあくまで一時的な住居ですが、実際には住民たちはそこで日々の生活を続けていかなければなりませんでした。この「仮の住まい」という認識は、自治組織への関わり方にも影響を与えていました。

自治会の有無に関する住民の回答は、震災前の79.6%から、仮設住宅での生活が始まって以降は50.4%へと低下しており、自治会への関心が下がっていることが確認できます。特に、「なし」や「わからない」と回答した住民が多い状況です。自治会活動に積極的に参加していた人の割合も、震災前の61.4%から現在は41.7%へと減少しています。一方で、自治会の必要性については83.8%が「必要だ」と感じており、「生活情報の伝達」や「住民交流の場の提供」への期待も高い水準にあります。

自治会は必要なのに参加したくないというジレンマ

「必要だと思う」けれど「自分からは動けない」

2012年の実態調査では、自治会に対する住民の「意識」と「行動」の間に大きなねじれが生じていました。自治会の必要性については、実に83.8%の住民が「必要だ」と回答しています。生活情報の共有、防災時の連絡網、見守りの仕組みなど、自治組織が果たす役割は明確に理解されていたからです。
それにもかかわらず、実際に積極的に参加したいと答えた住民は、震災前の61.4%から41.7%にまで減少しています。この「必要なのに動けない」というジレンマこそが、仮設住宅のコミュニティを苦しめていました。

背景には、いくつかの心理的・構造的負担があります。まず、仮設住宅が「一時的な住まい」であるという意識が、深い関係を築くことへのブレーキとして働いていました。「どうせいずれ出ていく場所なのだから、関わりすぎない方がいい」と考える人は少なくありませんでした。

「仮の住まい」が、関係づくりの足元を揺らす

自治会結成が進まない背景には、都市計画や移転方針の不透明さもありました。調査では、39.7%の住民が「先の見通しが立たない」と回答しており、将来が定まらない状態で「地域のために動く」というモチベーションを持つこと自体が難しい状況でした。

つまり、孤立は個人の問題ではなく、「仮の住まい」という構造が生み出した必然でもあったのです。さらに、震災後の生活再建という大きな負荷が日々の暮らしの中心にあり、自治活動への参加にまで気力が回らない現実もありました。不安定な土台の上では、どんな良い仕組みを置いても、住民の心は安定せず、自治的な営みが育ちません。その揺らぎの中で、住民は「必要性は分かるが、自分からは踏み出せない」という状態に置かれていました。

それでも見えていた、”つながりが始まる瞬間”

それでも、つながりの芽そのものが失われていたわけではありません。「住民交流の場の提供」への期待は112件と多く寄せられており、住民が親睦を深めたいと感じていることの裏返しとも言えます。

イベント参加態度の分析では、「1人で参加する」「知人・友人を誘って参加する」といった積極的な層(合計160件)と、「主催者や友人・知人に誘われて参加した」層(152件)に大きな差はありませんでした。この数字は、孤立の連鎖を断ち切るためには、自発的な行動をただ待つのではなく、外側からの小さな働きかけ──「誘い」が決定的な役割を果たすことを示しています。

誘いがつくるコミュニティの再生

鍵は”自発性”ではなく”誘いの文化”にある

調査を丁寧に読み解くと、孤立が深まる一方で、希望の芽も確かに見えてきます。その中心にあるのが「誘われれば参加する」という住民の回答でした。

自治会活動では、46.4%の住民が「声をかけられれば参加する」と答えており、住民が自発的に行動できないのではなく、「きっかけがないだけ」であることを示しています。イベントへの参加でも同じ傾向が見られました。「友人に誘われた」「主催者に声をかけられた」理由で参加した住民が多かったのは、主体性の欠如ではなく、それを引き出すための「背中の一押し」が欠けていたのです。
つまり、共助の鍵は、自発性に頼るのではなく、誘いという軽い働きかけを日常の中にどう組み込むかにあるのです。

「誘い」が生む関係の芽──共助は行為から始まる

調査では、住民が望む支援として「住民交流の場の提供」が112件と多く挙げられていました。これは、住民が「つながりたい」と感じていることの裏返しでもあります。しかし、その気持ちを行動に移すには、誰かの声かけが必要でした。
誘いは小さな行為ですが、その積み重ねが孤立をほどき、共助の通路をひらいていきます。共助は仕組みとして設置するものではなく、人と人の間に「育つ」ものなのだと、この調査は教えています。

招待型共助を未来の地域の習慣へ

“声をかける地域”が、災害に強い地域になる

南境地区の調査が残した最も重要な教訓は、孤立の原因が、個人の性格でも、意欲の欠如でもなく、環境によって生み出される構造的な問題だったという点です。そして、その構造に立ち向かうための方法として浮かび上がったのが、「招待型の共助」という考え方です。

自発的に参加する人を増やすのではなく、「誘われれば参加できる人」を地域の真ん中に置く。その視点が、仮設住宅という不安定な環境でさえ、つながりを取り戻す道筋として描くことができます。

未来の地域づくりにおいても、この視点は大きな力を持ちます。日常のなかで、声をかける、誘う、気にかける。こうした行為が積み重なった地域は、災害時に大きな力を発揮します。共助のネットワークは、非常時に突然つくるものではなく、日常の習慣として育てておくものだからです。

共助は制度ではなく”循環する営み”である

防災・復興の議論では、制度や仕組みをどう整えるかが注目されがちです。しかし、孤立と共助の構造を見つめた今回の調査は、制度の前に「人の行為」があることを明確にしています。

「誘い合う文化」を地域に根づかせることによって、孤立の芽は早い段階で小さくできます。さらに、小さな集まりが継続すれば、自然と役割が生まれ、支え合う力が循環します。共助とは、行政がつくる仕組みではなく、住民が育てていく営みなのです。

孤立には”静かに寄り添う行為”が必要になる

2012年の実態調査が示していたのは、孤立が目に見えない形で広がり、生活の土台を揺るがしていたという現実でした。しかし同時に、人の心にそっと踏み込む誘いの一言が、共助の芽を確かに育てていたことも示していました。孤立の影を減らすには、制度よりも先に、人の行為を育てる必要があります。「誘われれば行ける人」が動ける地域は、災害にも強い地域です。共助の文化は、未来の防災の核となっていきます。

東日本大震災の仮設住宅支援、復興起業家育成に関わってきました。大学では、震災復興を考える講座やワークショップを実施しています。ここでは、復興ボランティア学講座の記録をまてめて、公開しています。

関連記事

団体別インデックス

コメント

この記事へのコメントはありません。

TOP
CLOSE