〈2011年調査・前編〉東日本大震災・石巻の仮設住宅で始まった“生活再建”の記録

復興を考える

石巻・仮設住宅で始まった「暮らしが戻る」とは

2011年3月11日の東日本大震災。あの日から時間が経つほど、「復興」という言葉は便利な合言葉のように使われてきました。けれど、復興とは何を指すのでしょうか。瓦礫が片づき、新しい道路ができ、家が建ち並べば「復興が進んだ」といえるのでしょうか。しかし、そうした町の整備とは裏腹に、人々の暮らしや心は簡単には戻りません。

震災から数カ月後、石巻の街では避難所での生活が終わり、仮設住宅への移転が始まっていました。プレハブの家が整然と建ち並びました。見た目には屋根も壁もある「住まい」が用意されました。しかし、そこに入った人々の気持ちは、まだ避難所の日々から抜け出せていませんでした。どこに誰が住んでいるのかも分からない。段ボール箱を開ける気力が湧かない。静まり返った夜に耳を澄ますと、自分だけが取り残されているように感じる。そうした揺らぎの中から、新しい生活は始まっていきました。

そのころ、地元の大学の学生たちは、自分たちに何ができるのかを問い続けていました。大学の近くに次々と建設される仮設住宅。それを見て、「まず知るところから始めよう」と考え、住民への実態調査を企画しました。思いだけで走り出すのではなく、暮らしの実像を丁寧に見つめ、何が必要で、どこに負担が生まれているのかを把握すること。これこそが支援の第一歩だと考えたからでした。

2011年8月、学生たちは、調査票を手に汗をぬぐいながら、3日間にわたり仮設住宅を歩き続けました。郵送ではなく、一軒ずつ玄関を訪ねる方法を選んだのは、紙の向こうにいる人の表情や声を感じ取りたかったからです。暑さに耐えながら頭を下げ、短い言葉を交わし、返ってきた調査票を手に抱える姿には、復興を「顔のある営み」として捉えようとする思いが宿っていました。

震災から2年半が過ぎたころ、地元紙の記者はこう語っています。「数字をどれだけ覚えても、それでは震災を“わがこと”として受け止めることにはつながらない」。被害件数や避難者数といった数字は、事実を理解する手がかりにはなります。しかし、その数字の奥には、固有の暮らしがあり、一人ひとりの気持ちがあり、名前があり、事情があります。そこに近づかなければ、本当の意味で「忘れない」ことにはたどり着けません。

この記録は、2011年の夏、南境地区の仮設住宅で始まった「生活の再出発」の姿を追いかけたものです。屋根や壁といった「モノの器」が用意されても、人の関係や心の安定といった「見えない器」までは整わない。その事実を、学生たちの調査は教えてくれています。

では、仮設住宅での暮らしはどのように始まり、どんな負担があったのでしょうか。ここからは、収集された277枚の調査票と現場で交わされた声を手がかりに、当時の生活の輪郭を丁寧にたどっていきます。

東日本大震災・石巻の仮設住宅で始まった「生活の再出発」

3日間の調査で見えてきた「仮設住宅の輪郭」

2011年8月。石巻にあった大学の学生たちは、南境地区に広がる仮設住宅群を歩き、一軒ずつ調査票を届けていきました。調査期間は10日から12日までの三日間です。郵送ではなく対面で渡すことにこだわったのは、紙を配るだけでは住民の思いに触れられないと感じていたからでした。炎天下の中、学生たちは玄関先で何度も頭を下げ、調査の趣旨を説明し続けました。調査票は配布した573枚のうち277枚が戻ってきました。48.3%という数字の裏には、住民と短く交わした言葉や、被災者の暮らしの重さが積み上がっていました。

南境地区の仮設住宅は、大学近くの工業用地や公園用地に密集して建てられていました。最終的には3600戸の住宅が建設される予定でしたが、当時すでに812戸が入居していました。歩いてみると、同じ形の家がびっしりと並び、その間に整然と細い通路がはりめぐらされていました。学生たちは仮設住宅の配置図を片手に、住民の暮らしへと足を踏み入れていました。

圧倒的な高齢化と「小さな世帯」の現実

調査票を開くと、最初に目に飛び込んできたのは年齢の偏りでした。世帯主の60歳以上が58.7%。半数を超える世帯が高齢者でした。その多くが一人暮らしか二人暮らしで、両方をあわせて51.5%でした。つまり、この新しい仮設住宅は、震災前の集落の構成とは異なる「高齢者の小規模世帯の街」として立ち上がっていたのです。

住まいの出身地をたどると、石巻市街地区が86.4%を占め、特に津波の被害が大きかった渡波・湊地区からの避難者が多く集まっていました。被災前の住居形態を見ると、74.3%が持ち家でした。津波によって家族が何十年もかけて築いてきた生活基盤が、一瞬にして奪われたことが数字に表れていました。住宅の被害程度は、流失・全壊を合わせて99%以上。数字の並びは冷たく見えるかもしれませんが、その裏側には「帰る家がない」という切実さが横たわっていました。

震災で仕事を失った人々が抱える不安

次に見えてきたのは、収入への不安でした。世帯主の61.7%が無職で、そのうち41.2%が震災後に仕事を失ったと答えています。これは調査対象全体の約4分の1にあたります。主な収入源を尋ねると、年金が45.3%で最も多く、義援金や失業給付に頼って暮らす世帯も少なくありませんでした。「積極的な収入がない世帯」が16.4%にのぼり、住まいの再建と同時に収入の再建が必要であったことが、数字に刻まれていました。

玄関先で話を聞いた学生のメモには、住民の短い言葉が残されています。「落ち着くまで仕事を探せない」「年金だけでは心もとない」。どの言葉にも焦りよりも疲れが滲み、震災が生活の時間を止めてしまったような印象を与えていました。

仮設住宅に暮らしを合わせていく苦労

生活用品に関する項目を見ると、住民がまず買い求めたものが記録されています。衣類収納が208件と最も多く、続いてレンジ台、食器棚、下駄箱と、上位はすべて収納家具でした。仮設住宅の収納スペースが限られ、生活用品を自費で整え必要があったことがうかがえます。

家電では掃除機や扇風機が多く、夏の暑さをしのぐために使われていたようです。仮設住宅にはクーラーが一部屋しか設置されていなかったため、扇風機が生活を支える大事な道具になっていました。数字の羅列のように見えるこれらの記録は、住民が「部屋を生活の空間に変えていく」過程の断片でした。

調査に関わった学生は、調査票の裏側にこう書き残しています。「段ボールが積まれたままの家があって、まだ生活が追いついていないのが伝わった」。住まいを手に入れても、暮らしがすぐに戻るわけではない現実がありました。

隣人が見えない「関係の空白」

調査結果の中で、とりわけ印象的だったのは、人間関係に関する項目です。住民同士の関係を尋ねると、「挨拶をする程度」が50.0%で最も多く、「立ち話程度」が19.3%。「ほとんど知らない」と答えた人も23.6%いました。避難所で肩を寄せ合って暮らしていた時期とは違い、仮設住宅では壁が距離を作り出し、人の気配が薄れていました。

自由記述欄には、こんな声が残っていました。
「隣の人の名前がわからないので表札がほしい」
「誰がどこに住んでいるのかわからない」

どれも、小さな見えない不安を抱えた暮らしが浮かぶ言葉でした。

生活の不便は小さなトラブルを生む

共同生活のルールが整わないまま始まった仮設住宅の暮らしでは、徐々に生活トラブルも現れていました。
自由記述には、こんな声があります。
「ごみ出しのルールが守られていない」
「自分の駐車場に知らない車が止まっている」

駐車スペースは限られており、使い方をめぐる行き違いは住民の不安につながっていました。学生の調査記録にも、「ルールを急に作ってもうまくいかない。まず顔見知りになる必要がある」と書かれていました。仮設住宅の中で生まれたのは、人間関係が整わないまま始まる暮らしの難しさでした。

子どもたちの遊び場のなさが生む負担

調査結果では、仮設住宅に暮らす子どもたちの様子も記録されています。遊び場を尋ねると、「自宅内」が46.2%で最も多く、「遊んでいない」という回答も12.8%ありました。外で遊べる場所が少なく、同年代の子どもが周囲にいないことが、見えない負担となっていました。

通学の手段は自家用車が81.8%を占め、通学時間は16〜30分。学校へ送迎するために親の負担は大きくなり、「仕事があって送迎が大変」という声がいくつも寄せられていました。

「歩いて行ける場所に学校がない」「子どもだけで通わせられない」
仮設住宅という環境が、子どもの生活にも深い影響を与えていました。

声の数だけ暮らしの形がある

277枚の調査票には、数字だけでは伝わらない暮らしの断片が詰まっていました。
「夜になると静かすぎて落ち着かない」
「家はあるのに、家に戻った感じがしない」
「ご近所さんがわからないから不安」

どれも、震災から数ヶ月の間に積み上がった心の揺らぎでした。仮設住宅という場所は、安全を守る「箱」でありながら、住民が自分の生活を再びつくり直すための大きな負担でもあったのです。

東日本大震災・石巻の仮設住宅で浮かび上がった“もう一つの課題”

南境地区の調査票を読み進めていくと、仮設住宅の暮らしは「安全な箱」の中に守られていたように見えて、実際には落ちつかない感情や不安が折り重なっていたことがわかります。住まいを失い、新しい環境に入り、生活を立て直そうとする毎日は、数字ではとらえきれない心の揺らぎを抱えていました。

仮設住宅が抱えていた本当の課題は、収納の不足や暑さといった物理的な不便さの奥に潜んでいました。調査票の自由記述には、「名前がわからない」「相談先がない」「声をかけづらい」といった、暮らしの根もとを揺らす不安がいくつも書き込まれていました。

その言葉の背景には、「生活の再出発」は建物の中だけで成り立つものではないという現実があります。
暮らしを支えるのは、家の形だけではなく、人とのつながりや“ここにいていい”と思える感覚です。後半では、この“目に見えない部分”がゆがみ始めたとき、暮らしにどんな危険が生まれていたのか。そして、学生たちはその現実をどう受け取り、どんな行動に踏み出したのかを見ていきます。
「見えない問題は、どこで積み上がっていったのか」、後半の記事へと続きます。

👉 〈後編〉東日本大震災・石巻、仮設住宅の「見えない問題」と地域づくりの未来

東日本大震災の仮設住宅支援、復興起業家育成に関わってきました。大学では、震災復興を考える講座やワークショップを実施しています。ここでは、復興ボランティア学講座の記録をまてめて、公開しています。

関連記事

団体別インデックス

コメント

この記事へのコメントはありません。

TOP
CLOSE