東日本大震災・石巻の“顔のある記録”を自分ごとに──河北新報が守り続けた武田真一のまなざし

復興支援活動の記録

東日本大震災・石巻の記憶を「自分ごと」に変える

震災から二年半が経った石巻の街は、新しい建物が立ち、道路も整い始めていました。一見すると落ち着きを取り戻したよう様子ですが、その裏側には、まだ痛みの記憶が横たわっていました。災害は家だけでなく、人の暮らしや人間関係、日常の心の動きまでも揺さぶってしまうからです。

この日、復興ボランティア学講座の壇上に立ったのは、河北新報社で被災地を取材し続けてきた武田真一さんでした。自分はボランティアの専門家ではないと前置きしながらも、現場で見てきた「一人ひとりの姿」から、震災をどのように受け止めればいいのかを静かに語り始めました。


彼が問いかけたのは、「震災を遠い出来事として受け流さないために、どんなまなざしが必要か」ということです。被害を数字ではなく「顔のある現実」を見ること。震災という出来事を「自分の暮らしとつながるもの」として感じること。その視点こそが、復興を語り継ぎ、次の災害を減らすための出発点になるというのです。

東日本大震災・石巻で浮かび上がった「顔のある現実」

数字の奥にある“生きた人の暮らし”

震災の被害を表す数字は、教科書のように整理されています。死者・行方不明者は約1万9,000人。関連死2,300人。壊れた家は40万棟以上。石巻だけでも、犠牲者は3,960人にのぼりました。

武田さんは、講演の冒頭でこう語りました。
「数字をどれだけ覚えても、震災を“わがこと”として受け止めることにはつながらないのです」数字は大切です。けれど、数字のままでは、そこにいた人の表情や声は見えてきません。避難所で夜を過ごしていた人。家族と離ればなれになった人。自宅の跡地で立ち尽くす人。その「顔」を思い浮かべてこそ、震災は現実のものとして心に残ります。

当時、避難生活を送る人は29万人いました。武田さんは、「29万」という数ではなく、「29万通りの事情」として受け止めよう、と呼びかけました。それぞれがちがう理由で苦しみ、悩み、迷いながら生きている。その一つひとつに向き合うことが「忘れない」ということの本当の意味だと語ります。

新聞が探し続けた“ひとりの声”

河北新報社では、震災後に「記憶 あなたを忘れない」という連載を続けていました。
亡くなった方の写真、どんな人だったか、家族がどう受け止めたかを、短い文章で丁寧に記録していく紙面です。武田さんはこう言います。「一つの死を、もう一度“ひとりの人生”として見つめ直す。それが記者の務めでした」

また、「被災者いま」という20〜30行の短い記事では、今どんな生活を送っているのか、どんな喜びや困りごとがあるのかを、本人の言葉そのままで届けました。その理由はたった一つ。
「読んだ人の中で、被災者の姿が消えないようにするため」です。記事には派手さはありません。けれど、そこには生活の匂いや、胸の奥に沈んだ気持ちが確かに息づいていました。

数字ではなく“名前のある現実”へ

「震災を風化させない」という言葉には落とし穴があると語ります。「風化させない」という言葉自体に反対する人はいません。しかし、意味を考えないまま使うと、「かわいそうな場所」「大変だった地域」という、どこかよそよそしい捉え方につながってしまう。

本当に大切なのは、「忘れない」の先に、どんな行動を生み出すのかという視点です。武田さんは、「次の災害で命を守るため」「次の被災者を一人でも減らすため」という「自分の暮らしへの関係性」を持ってこそ、震災は初めて「わがこと」になると語っています。
数字ではなく、名前のある一人ひとりを思い浮かべること。それが行動につながる記憶の残し方なのです。

「顔のある記録」が支援の意味を変えていく

共感が生まれる場所は“数字の外側”にあった

講演の中で武田さんが何度も強調したのは、「数字だけでは震災の姿は見えない」という点でした。記録を「数」で捉えると、過去の出来事として遠く感じてしまいます。しかし、一人の暮らし、一人の声に触れると、その出来事は急に「自分に近いもの」として感じられるようになります。

ここに、震災の記録を「名前のある出来事」として残してきた理由があります。
数字は震災を「理解させる」ことであり、顔のある記録は震災を「感じさせる」ものでした。このふたつがそろって初めて、復興の記録は動き出します。

「わがこと意識」とは、特別な覚悟ではない

武田さんが投げかけた「わがこととして捉える」という言葉は、難しい決意のように聞こえるかもしれません。しかし実際には、“自分の暮らしとつながる視点を持つ”という、より素朴な意味を持っていました。

そこに必要なのは、「誰が困っていたのか」「どんな生活が続いていたのか」「なぜ苦しみが生まれたのか」という、たった3つの問いだけです。これらの問いに向き合った人は、次の災害が来た時にも「どうすれば助けられるか」を自然に考えられるようになります。つまり、「わがこと意識」は特別な使命感ではなく、日常の中で育てる小さな感性なのです。

“忘れない”は、次のいのちを守る準備になる

「震災を忘れない」という言葉は、しばしば慰霊のために語られます。しかし、武田さんはそこにもう一つの意味を重ねました。それは、次の災害で守れる命を増やすために記録を活かすという視点です。

忘れないことは、「未来の誰かの命に手を伸ばすことと同じこと」なのです。「記録を未来に渡す行為は、過去を悼むだけでなく、未来を守る準備になる」。これが、武田さんの報道姿勢を支えていました。

地域と教育で生かせる「震災との向き合い方」

一つの出来事を“自分の生活の中”へ持ち帰る

武田さんが語った「名前のある現実を見る」姿勢は、地域づくりや教育の場でも大きな意味を持ちます。
授業で震災を扱うときも、地域で防災を話し合うときも、大切なのは「誰のどんな暮らしがそこにあったか」を思い浮かべることです。そうすると、抽象的な大きな課題が、自分の生活とつながり始めます。例えば「避難しにくい人は誰か」「孤立しやすい家はどこか」といった視点が自然に生まれ、現実に役立つ話し合いができるようになります。

「普通に生きる人」を中心に考える

武田さんは、水俣病の語りの中で生まれた言葉を紹介しました。
それは、作家・石牟礼道子さんが、水俣病の語りの中で残した言葉です。「出世など考えず、普通に生きている人たちの行く末を思うことが大切です」

この視点は、震災にも、防災にも、支援にも同じように当てはまります。困りごとを抱えながら暮らす「ふつうの人」が見えなくなると、地域の弱い部分がそのまま次の災害で大きな被害を受けてしまいます。だからこそ、地域活動では“目立たない困りごと”に耳を傾けることが重要です。それが、支援を日常の中に根づかせる第一歩になります。

子どもや若い世代が震災を学ぶ意味

震災を学ぶことは、悲しい出来事を知るためだけではありません。
自分の暮らしのどこが弱いのか、誰を助けられるのか、どんな行動が命を守るのか、こうした考え方を身につけるための学びです。
中学生や高校生が「顔のある記録」に触れると、自分の生き方を考える力が育ちます。「その時、自分ならどう動いただろう」この問いを持てることこそ、震災教育の最大の価値と言えるでしょう。

震災を「日常の習慣」に戻すために

特別な支援を“ふつうの行動”にする未来へ

震災を学び、記録を受け取ると、どうしても特別なことのように感じてしまいます。けれど、本来めざすべき姿は、震災を特別扱いせず、日常の延長として実感できる社会です。身近な困りごとに目を向ける人が増えれば、地域全体の防災力は自然と高まります。それは、大きな制度で変えるのではなく、日常の親切、気づき、小さな声かけの積み重ねから始まります。

“わがこと意識”は未来の地域をつくる

武田さんが強調した「わがこととして考える」という視点は、災害の教訓を未来につなぐうえで欠かせません。次の災害で悲しむ人を減らすため。そして次の世代が安心して暮らせる地域をつくるため。過去の出来事を、自分の生活の問題として考える力が必要になります。

私たちはいま、自分の足元でどんなことに気づき、どんな行動を積み重ねられるでしょうか。震災の記録は、その問いに静かに答え続けています。

東日本大震災の仮設住宅支援、復興起業家育成に関わってきました。大学では、震災復興を考える講座やワークショップを実施しています。ここでは、復興ボランティア学講座の記録をまてめて、公開しています。

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