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2013年6月18日 にじいろクレヨン 柴田滋紀 Part3
東日本大震災後、子供たちの心のケアをするため「にじいろクレヨン」の活動を始めた柴田さん。避難所の子供たちは声を出すこと、体を動かすこと、親に甘えることなど、いろいろガマンを強いられる生活をしていました。その様子を見た柴田さんは、子供たちのエネルギーの発散の場を作るため、遊び場を始めました。
避難所の子供たちのために何ができるだろう
そんなとき、私はお絵描き教室をやっていたし、剣道でも子供と接する機会が多かったので、「何が自分にできるだろう」と思ったとき、落書きでも描かせて少しでも遊んでもらえたらいいかなと考え、そこからのスタートでした。避難所では、私の姉も一緒に避難をしていました。もともとうちの姉にお絵描き教室を手伝ってもらっていたので、「じゃあ、ちょっと姉ちゃん手伝ってよ」みたいな感じで、避難所の中でスタートしました。
門脇保育所も流されたのですが、たまたま門脇保育所の保育士さんも石巻高校に避難されていたので、「一緒に手伝ってください」と言って、この写真の左側に写っていますが、ピアニカとかを持ってきてくださって一緒に子供と遊びました。一日1時間半、10時半から12時までと時間を決めて遊び場を作りました。
ご存じでしょうけど、当時、子供は学校もないから一日中24時間ずっと暇なわけです。だから「遊ぶぞ」と言ったら、わらわらわらと集まってきます。子供って、楽しそうだと集まってくるので、だいたい20~30人ぐらいの子供が集まってきました。鬼ごっことか、かくれんぼとか、紙飛行機を作ったり、折り紙をしたりして遊びました。
乱暴でイライラしていた子供たち
そのときの子供の様子は、やはりストレスがすごくたまっている状況で、かつ親御さんも普通の精神状態ではなかったので、子供を全然相手にしてあげていない状態でした。子供たちは、どこにもやり場のないエネルギーがあったので、どうしても乱暴だったり、暴言を吐いたり、いらいらしている状態でした。
具体的に言えば、けったり、殴ったり、つば吐いてきたり。それこそ3歳ぐらいの子供が「死ね」とか「もう来るな」とか、そういう言葉を大人に、ボランティアに対して、私に対して浴びせてきます。そういうことはあったけれど、彼らの表現なのだろうと思ってやらせるようにしていました。まあ、普通にけんかしたりもしました。殴ってきたら殴り返すし、けられたらけり返して、「でも俺はおまえを見捨てないぞ。見守っているよ、ずっと」というスタンスでやってきました。
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