6.一人一人の行動が郷土を守る
東日本大震災のボランティアから蛤浜の再生に関わるようになった魚谷さん。海岸でのゴミ拾いや、廃材を使ったあずまやづくりの活動経験を通じて、これからの郷土を守るためには、一人一人の行動が必要だと訴えかけて
東日本大震災・被災地の記録を未来へ
現場の記録と支援のリアルを伝えるカテゴリーです。
東日本大震災のボランティアから蛤浜の再生に関わるようになった魚谷さん。海岸でのゴミ拾いや、廃材を使ったあずまやづくりの活動経験を通じて、これからの郷土を守るためには、一人一人の行動が必要だと訴えかけて
ため、「石巻海さくら」の活動も手伝っています。蛤里プロジェクトともコラボレーションで活動をしているそうです。
した魚谷さん。On the Roadを辞めたあと「蛤里プロジェクト」に加わりました。プロジェクトで最初に手がけたことはカフェ「はまぐり堂」をオープンすることでした。
東日本大震災で、On the Roadの、宮城代表だった魚谷さん。震災で被災したふるさとを再生したいという人と出会いました。この出会いをきっかけに魚谷さんは団体を辞め、牡鹿半島で最も小さな漁村の再生「
東日本大震災で、On the Roadの災害ボランティアとして活躍した魚谷さん。実は、この団体の活動に参加したボランティアには、石巻に定住する人が多いそうです。魚谷さん自身も石巻に住民票を移しています
東日本大震災の一般ボランティアとして、2週間の予定でOn the Roadの災害ボランティアに参加した魚谷さん。ところが半年後には住民票を移して石巻に定住しています。なぜ魚谷さんは石巻に残ったのか、お
東日本大震災のボランティアで石巻に来て、石巻復興支援ネットワークで事務局長を務めていた渡部さん。この先、女性が活躍できる町をつくるために、子育て世代の女性の小さなチャレンジを応援することと、子育て環境
東日本大震災のボランティアで来た石巻に残り、石巻復興支援ネットワークの事務局長として活躍していた渡部さん。団体として成果を上げることができた背景には、信頼性の構築があったといいます。内部管理の仕組みを
ん。団体は着実に成果を上げていきました。この成長の背景には、地縁を持つ住民と外部支援者の連携があります。このような成功が他の団体にも拡がり、復興の担い手が増えることで、石巻が面白い街になることを渡部さ
東南アジアでのボランティアを経験し、東日本大震災をきっかけに日本へ帰ってきた渡部さん。石巻復興支援ネットワークの事務局長として、復興支援事業に携わります。団体では仮設住宅のコミュニティ支援の他、石巻に
東南アジアでのボランティアを経験し、東日本大震災をきっかけに日本へ帰ってきた渡部さん。「つなプロ」に参加し宮城県に来ました。支援活動の間ずっと早く帰りたい思いで一杯だったにもかかわらず、つなプロの関係
石巻復興支援ネットワークの事務局長として活躍していた渡部さん。会社を辞めて参加したカンボジアでのボランティア・プログラムが終わる頃、東日本大震災が起こりました。復興支援のために日本に帰国したことで、渡
東日本大震災のあと、仮設住宅の支援や復興起業家の育成に10年間携わってきました。 現在は、現場で積み重ねてきた経験を「記録」として残し、次の世代へ伝える活動を続けています。 このサイトでは、復興ボランティア学の講座やフィールドワークの記録をまとめて公開しています。