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2013年5月7日 On the Road 魚谷浩 Part1
東日本大震災の一般ボランティアとして、2週間の予定でOn the Roadの災害ボランティアに参加した魚谷さん。ところが半年後には住民票を移して石巻に定住しています。なぜ魚谷さんは石巻に残ったのか、お話しはそこから始まります。
※動画はありません。書き起こし文章のみです。
最初は2週間で神戸へ帰るつもりでした
皆さん、こんにちは。魚谷浩と申します。僕は兵庫県神戸市で生まれ育ちまして、2年前に石巻に入りました。災害ボランティアをきっかけに、石巻にたずさわることになったんですが、石巻に入ってから半年後、12月に住民票を移して、石巻で住むことを決意しました。
その時から、だんだん僕の中で、ボランティアとは何かとか、自分のふるさとに対する思いだったりとか、これから皆さんのふるさとになるところだったりっていうことに対して、すごく疑問を感じたり、また熱い思いを持って接していきたいなということを感じました。
なので、今日のテーマで、「阪神大震災と東日本大震災から学んだ郷土愛」ということで、僕が今まで石巻に入ってから、現在に至るまで、一体何をしてきたかということを、一時間ぐらいまとめてお伝えできたらなと思います。
私は、2年前にNPO法人オンザロードという団体の一般ボランティアとして、石巻に入りました。一般ボランティアで来たというのは、最初、僕は2週間で、災害ボランティアを終えて、石巻を離れる予定をしていたからです。
ところが、災害ボランティアに関わることによって使命感にかられ、石巻に残ることを決意したんです。それが5月の頭ぐらいでした。そこから災害支援活動をやるにあたって、いろんな方と出会って、団体を出てからも、今の生活をしているわけなんです。
On the Roadの災害支援
まず、僕が石巻に入ったきっかけになったNPO法人オンザロードについて、少し紹介させていただきたいと思います。
オンザロードは、もともと災害ボランティアとしての機能を持たないNPOでした。主に海外の貧しい国で、学校をつくる活動をしていました。代表の高橋歩というのがいまして、高橋が今回の災害をきっかけに、自分のところのNPOを使って、人をたくさん送りこめないかということで、石巻にベースを構えることになりました。
最初は僕たち、大崎市の田尻のあたりの野原でキャンプをしながら、1時間かけて石巻に毎日通っていましたが、石巻にベースを構えたことで、最終的に延べ人数で3万人弱のボランティアに関わっていただくことができました。
僕が石巻に残って活動を続けた理由
僕はなんでこのオンザロードに残ることになったかというと、まずきっかけになったのが、このオンザロードの活動の中でも、けっこう軸になった店舗再生班というのがありました。被災した店舗を早く再開できるようにということで、人海戦術でお手伝いできることをサポートさせてもらったんです。
僕は石巻に来るまで、ずっと飲食関係の仕事をしていまして、すごく店舗の再生に興味がありました。なので、その班長に立候補させていただいて、石巻に残ることにしました。そのうちオンザロードでの活動をする中で、3カ月後に現地の責任者となって、1年間、現場を任せていただくことができました。
オンザロードという団体は、いまも石巻で活動してます。たまに僕が辞めてから「オンザロードさん、もういなくなったんですか?」って聞かれます。
当初はガテン系のメンバーの集まりだったんですけど、今は知的なメンバーが残って、ヤフーさんと提携して、石巻元気商店で、石巻の特産物を全国に販路を広げて、売れるようにするシステムをつくっています。
あとはカルチャースクールのような感じで、写真教室をたまにやったりなんかしているので、オンザロードの活動を耳にしたり、見たりしたときは、一声かけていただけたらなと思います。
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