4.仮設住宅でも遊び場は必要です(2013年にじいろクレヨン)

にじいろクレヨン

2013年6月18日 にじいろクレヨン 柴田滋紀 Part 4

東日本大震災後、子供たちの心のケアをするため「にじいろクレヨン」の活動を始めた柴田さん。活動に賛同する多くのボランティアの支援を受けて、子供の遊び場づくりは石巻や東松島の避難所へと広がっていきました。そして、避難所が解消した後は活動の場を仮設住宅へと移して継続しています。

ボランティアも増えたので活動範囲を広げました

にじいろクレヨン避難所時代
暗い絵は子供のストレス反応

たくさんボランティアさんも集まってきたので、いろんな場所でやろうということで、門脇中学校に行ったり、渡波小学校に行ったり、万石浦中学校に行ったり、大塩市民センターに行ったり、たくさんの避難所に回りました。

石巻専修大学にボランティアセンターがあったときは、夜にあったボランティアたちの連絡会議で「子供の支援をやっているので手伝ってください」という感じでちょこちょこ来ていました。

あるとき昼間に一回専修大学にお邪魔しましたときのことです。多分その連絡会議か何かで大学へ来て、たまたま建物の2階で「子供の居場所づくりをやっているよ」という話を聞いたのでしょう。それがきっかけで、専修大学でも何回か、にじいろクレヨン活動をやらせていただきました。そのときに、あなたがたの先輩だったり同級生だったかもしれませんが、学生さんにも助けていただいて活動をしました。

そのあと学校が始まるからということで、専修大学に避難されていた方は広渕小学校に避難場所が変わりました。それで広渕小学校で活動をするようになりました。

そのとき、絵を描いて遊んでいたのですが、作品を作るのが目的ではなくて、発散してもらうことが目的だったので、「どんなふうに描いてもいいよ」と言ってやっていました。そうした絵が暗い絵になるのはもう当たり前のことで、それは私も知っていたので、「いいよ、いいよ」という感じでやっていました。

仮設住宅では危険な通路で外遊びをしています

2011年にじいろクレヨン仮設住宅
車の走る仮設住宅の通路が外遊びの場


避難所が閉鎖されたのが、だいたいおととしの10月ぐらいです。6月ぐらいから仮設住宅が出来始めたので、われわれも活動場所を仮設住宅に移して子供たちの居場所づくりを続けました。

皆さんご存じだと思いますが、公園という公園をみんなつぶして仮設住宅が建てられました。それはしょうがないことなのですが、それによって子供の遊ぶ場所が仮設住宅団地の通路などしかなくて、車が通る中を「危ないよ、危ないよ」と言いながら遊んでいます。それは今も変わらないです。

すぐそこの南境の仮設住宅でわれわれ金曜日に活動しているのですが、そのときも同じ状況で。やはり車が通る中で遊んでいる状況です。子供たちが安全に遊べるように、われわれは守ってあげるというかたちでやっています。

去年の活動のやり方です。避難所のころは毎日、一日7カ所ぐらい回っていました。子供たちの学校が始まったのもあるのですが、それを一日1カ所に決めて。月曜日はどこ、火曜日はどこ、水曜日はどこ、というかたちです。今日、私はここにいますが、スタッフがひびき工業団地という、東松島市の鳴瀬のほうになるのですが、そこで活動をしています。

4時から5時半までというかたちで、1時間半。今も同じように仮設住宅の中では、折り紙をやったり粘土をやったりして、外では鬼ごっこをやったり探検したりしています。水曜日はどこ、木曜日はどこ、という感じで、曜日ごとで活動しています。


動画Part 4(にじいろクレヨン 柴田滋紀)

やっさん

東日本大震災の仮設住宅支援、復興起業家育成に関わってきました。大学では、震災復興を考える講座やワークショップを実施しています。ここでは、復興ボランティア学講座の記録をまてめて、公開しています。

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やっさん

東日本大震災の仮設住宅支援や復興起業家育成に10年間携わってきました。現在は震災復興に関する講座やワークショップを実施しています。ここでは、復興ボランティア学講座の記録をまとめて公開しています。

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