3.尽きることのない「送迎」(2013年移動支援Rera)
が、いつのまにか法人代表になってしまった村島さん。送迎支援の朝はとても早く始まります。朝6時半に集合してミーティングを終えたらすぐに出発です。それから夕方まで休む間もなく送迎の繰り返し。雨の日も雪の日
東日本大震災・被災地の記録を未来へ
現場の記録と支援のリアルを伝えるカテゴリーです。
が、いつのまにか法人代表になってしまった村島さん。送迎支援の朝はとても早く始まります。朝6時半に集合してミーティングを終えたらすぐに出発です。それから夕方まで休む間もなく送迎の繰り返し。雨の日も雪の日
一人のボランティアとしてReraに参加したのに、いつのまにかReraの代表になっていた村島さん。東日本大震災から2年間、毎日、休むことなく社会的弱者に密着して送迎をしてきました。活動では常に現場の切実
東日本大震災でボランティアとしてReraに参加し、法人代表にまでなった村島さん。震災からしばらくすると、Reraの利用者に人工透析患者が増えてきたといいます。人工透析とは腎臓の機能が弱っている人の血液
東日本大震災で一人のボランティアとしてReraに参加し、法人の代表にまでなった村島さん。民間のボランティア団体が、「移動」というライフラインを支えていることに疑問を感じて行政に相談しました。最低限、子
者の死亡率がとても高く、その事実が送迎の車の中で聞く利用者さんの話とダブります。災害が弱者の命から先に奪っていく一方で、防潮堤といったインフラ整備ばかりに莫大な資金をかけることに問題を感じています。防
東日本大震災で一人のボランティアとしてReraに参加し、法人の代表にまでなった村島さん。移動支援の現場から、地域が抱えている問題がありありと見えてきました。被災地は日本の未来を10年先取りをしていると
Reraの代表で、北海道出身の村島さん。実はReraの母体となったのは北海道のHOPという障害者支援団体でした。村島さんは縁あって活動に加わりましたが、現在の運営メンバーは主に地元出身者が中心となって
Reraの代表で、北海道出身の村島さん。大学ではロシア語を勉強していました。ところが就職はロシア語とは関係の無い児童館の指導員になります。仕事をするなかで自分のふがいなさを感じ、あるとき思い立って国内
東日本大震災被災したで移動支援活動をしている団体Reraの村島代表。最後にボランティアの意味について受講者に問いかけています。村島さんはあるとき気になって「ボランティア」という言葉を調べたことで、その
長尾さんは、プロジェクト結の理事長として、プロボノによる復興支援を続けてきました。その経験のなかで学んだ活動で大事なことは、自分たちの活動が社会にどんな影響を与えているのか常に考えることだと言っていま
んはプロジェクト結の理事長として、プロボノによる復興支援を続けてきました。その経験のなかで学んだ活動で大事なことは、自分たちの活動が社会にどんな影響を与えているのか常に考えることだと言っています。復興
長尾さんはプロジェクト結の理事長として、プロボノによる復興支援を続けてきました。活動を始めてから、2年半の間、柔軟な組織運営を続けるなかで、チームづくりで大事なことを学んできました。大切なことは「何の
東日本大震災のあと、仮設住宅の支援や復興起業家の育成に10年間携わってきました。 現在は、現場で積み重ねてきた経験を「記録」として残し、次の世代へ伝える活動を続けています。 このサイトでは、復興ボランティア学の講座やフィールドワークの記録をまとめて公開しています。