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2013年7月23日 移動支援Rera 村島弘子 Part5
東日本大震災でボランティアとしてReraに参加し、法人代表にまでなった村島さん。震災からしばらくすると、Reraの利用者に人工透析患者が増えてきたといいます。人工透析とは腎臓の機能が弱っている人の血液を人工的にきれいにする方法です。震災後によって稼働している人工透析施設が減り、さらに移動手段のない患者さんが多くいました。Reraはそうした人たちの命の危機を救う足として活躍していました。
人工透析を知っていますか

東日本大震災から私たちが活動していて、人工透析の患者さんっていうものが、どんどん増えてきて、人工透析のことを考えずには、活動はできないような状況です。人工透析について、ご存じの方っていうのは、どのくらいいらっしゃいますか。名前は聞いたことはあるとかっていう方、どのくらいいらっしゃいますか。名前もあんまり聞いたことないっていう方もいらっしゃいますか。
名前くらいなら。私もそうです。私もこっちに来るまで、人工透析はどうやら大変な病気の治療らしいっていうこと以外に、一回始めたらどうやらやめられないらしいとか、それくらいの事しか知りませんでした。Reraの送迎をしていて、人工透析の方の送迎っていうのが、どんどん入るようになってきたんです。
人工透析っていうのは、腎臓が普段は血をきれいにするんだけど、その腎臓がだめになってしまっているので、体から一回血液を抜いて、きれいにして、機械を通してきれいにしたものをまた体に戻すっていう、そういう作業のことです。これを週に3回、必ず定期的に行わないと、命にかかわります。
体の毒を排出できないっていう体なので、かなり食事制限とか水分制限とか、とても大変なようで、体の血を一回抜いて、体重も1回で2キロも3キロも変わったりするようなんですけども、かなり疲労が大きいという方もいらっしゃいます。
透析には、1回一人だいたい200リットルくらいの水が必要だというふうに言われています。透析患者は意外と多くて430人に1人といわれています。
救われない透析患者たち

ここまで聞くと、本当に人工透析っていうのが、ものすごく災害によるダメージが大きいものだってわかるかと思います。被災3県の透析患者数は、1万2330人。3月11日の段階で、すべての施設が停電、断水、配管の被害とかいろいろあって、翌朝の段階で透析ができる施設というのは、全体のたったの14パーセントだったそうです。
透析をする場所がない。本当に物理的に行く場所がないっていうことで、県外に避難された方とか、あと、バスで仙台まで通っていた方とか、そういう方が多かったようです。あと、行こうと思っても行けないことで、亡くなられた方もけっこういらっしゃったみたいです。
それから、食べるものが全然ない。避難所の生活では、菓子パンとかおにぎりとか、そういう食べ物が続いていました。避難所のものが食べられないっていうことで、かなり大変そうでした。
私たちのところにも、病院のコーディネーターや避難所の方からの相談っていうのが、よくありました。その頃は桃生町の避難所にいたけれども、人工透析の人が一家族しかいないからっていうことで、市から透析の送迎がなくなってしまいました。高齢の方なので、全然自分で行く術がない。なんとかしてもらえないかと。私たちも最初、そんなことはあり得ないと思ったんですけど、ほんとにそうだったんです。
この頃っていうのは、透析に限らず、やっぱりそういういろんな病院関係の方とか、逆に行政の方とか、そういう方からの相談っていうのも、お受けしていました。
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