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2013年7月23日 移動支援Rera 村島弘子 Part10
Reraの代表で、北海道出身の村島さん。大学ではロシア語を勉強していました。ところが就職はロシア語とは関係の無い児童館の指導員になります。仕事をするなかで自分のふがいなさを感じ、あるとき思い立って国内や海外へと「修行」の旅へ、流れ流れて石巻へと来ました。参考にならない経歴といいつつも、毎日、一生懸命考えながら行動すれば、きっといつか全部役に立つと言っています。
「私の履歴書」的な自己紹介です
ちょっとだけ自己紹介をしようかと思って、一応作ってきました。写真が何にもなくて、携帯に残っている自分の古い写真以外、全然プロフィールに使えるものがなかったんですけれども。私は北海道の札幌生まれの札幌育ちです。大学の専攻は、なぜかロシア語でした。
大学を卒業したあと、まずなったのが児童会館の指導員でした。これは子どもに関わる活動っていうのを、大学の頃からずっとやっていて、その流れで、児童会館の先生っていう声がかかった時に、すごくうれしくて、児童会館に入ったんです。そこで大学を卒業して、いきなり先生と呼ばれる立場になったんです。私の一体どこらへんが先生なんだみたいな、ちょっと修行が足りなすぎるっていうのを、すごく痛感して、先生と呼ばれるには、まだまだ修行が足りないということで、もっともっと勉強をしないとっていうふうに思ったんです。
勉強って、学習っていうのと、またちょっと違ったりとかして。私けっこうびびりで怖がりなんですけども、そんな自分を突き落とすような気持ちで、いきなり上海行きの片道の切符だけ買って、いきなり中国に行っちゃって、一人で中国から列車に乗ってモンゴル行って、列車でシベリア鉄道からロシアに行って、トルコに行ってということを、半年くらいして、お金がなくなって帰ってきました。
そのあと気持ちとしては、ずっと勉強、勉強。けっこう適当な感じですけど、自転車で北海道回って、そのまま農家で仕事しちゃって、家には2年以上帰らないとか。世界一周を企てて、今度は飛行機の券だけ持ってアメリカに行って、それからアラスカから中南米まで行って、ブラジルまで行ったところで資金がなくなって、結局半周で帰っきたとか。
戻ってきたあとは、工場で働いてみたり、NPOの理事を手伝いながら工事現場に行ってみたり、養殖やってみたり、売り子やってみたりして、研究農場のスタッフをやっているところで震災がありました。ちょうど研究農場のスタッフも、契約が終わるところだったので、そのままこっちに来ました。
「何をしたいのか」よりも「何をやったのか」
こういう変な履歴を聞いて、面白がる人と、ドン引きする人に分かれるんです。すると「それで何がしたいの」「あなた何がしたくて、それやってるの」って、よく言われるんです。多分「何がしたいの」と聞いてくる人は、私のことを専門分野として、仕事として、一生取り組むものとして、何がしたいのか、何もしたくないのか、ふらふらしてだけなのか、といった否定的な気持ちで言っていると思います。
それに関して、これも携帯の写真がこれしかなかったんですけれども。私が思うのは、何がしたいかっていうより、どんな人間でありたいかっていうことのほうが、大事なんだと思います。何かしたいっていうものを持っていて、それにもう、がっつり打ち込むっていうのは、とても素晴らしいことです。でも、それが見つからない人を、中途半端だとか思う必要はありません。
何かやるっていう専門分野決めて、その上であぐらをかいている人よりも、毎日を一生懸命考えながら動いている人のほうが、かえって良くできた人間になると思います。どんなことしていても、たぶん一生不完全だし、一生未完成じゃないかな。だけど、多分、全部いつか役に立つ。どんなことをやっていても、何かやっていても、何もやらなくても、全部役に立つんじゃないかって、私は思っています。
というのも、私自身、大学生の時に、そういうリクルートスーツ着て、就職活動とかっていうのが、あんまりできないタイプだったんです。ほんとはすごくやりたいわけじゃないことを、すごくやりたいふりして、なんか売り込みに行くとか、そういうのがけっこう嫌でした。だからって、何があるっていうと、わかんないままだったりして、そういう学生時代だったので、あんまり参考にならない人生を歩んでますけれども、それはそれでいいんじゃないかな。それだけお伝えしたいなって思いました。
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