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2013年7月23日 移動支援Rera 村島弘子 Part6
東日本大震災で一人のボランティアとしてReraに参加し、法人の代表にまでなった村島さん。民間のボランティア団体が、「移動」というライフラインを支えていることに疑問を感じて行政に相談しました。最低限、子供の通学と人工透析は何とかして欲しいと訴えたのですが、行政の腰は重く、はっきりした動きはでてきません。村島さんは瞬発力に欠ける行政の支援を補うのが、ボランティアの存在理由だと悟ります。
なぜ私たちが住民の移動を支えなくてはならないのか
最初に言ったように、ライフラインを頼る先っていうのが、震災後に突然現れたような、こういう任意団体のボランティアグループしかない。そういう状況に、私たちもかなり驚きました。
国土交通省の方が、一度視察に来られたことがあって、その頃私たちで送迎していた人工透析とか、お子さんの通学の送迎っていうのは、もうボランティアの域を超えているのではないかと思って、国土交通省の方に相談してみたんです。透析とそれから通学、それだけはなんとかしてもらえないだろうかと言ったところ、国土交通省は、透析は厚生労働省に言ってください、通学は文部科学省に言ってくださいと。
そういうことを言われて、けっこう愕然としました。やっぱり、どうしても行政任せは無理なんです。ずっと無理ではないかもしれないけれども、瞬発力に限界があるんです。だけど、人の命っていうのは、それが整うまで待ってもらえるかというと、待てないんです。そういうところに必要なのが、こういうボランティアの存在なんだって私は思います。
支援団体の連携で支援のスキマを埋めています
そういう隙間を埋めるっていうこと、それが私たちのような、私たちがしてきたような、災害のボランティアっていうものの役割なのです。そのために必要だったのが、やっぱり連携です。
私も毎晩、専修大学であったボランティアの連携会議に来てました。そこでたくさんのボランティア団体が情報共有をして、連携をしながら、無駄がないように、取りこぼしがないように、それぞれの専門分野が、別の専門分野と繋がるようにっていう話し合いをしていったことのが、すごく大きかったと思います。
この頃、私たちの拠点にはもう、菓子パンが山盛りになっていました。自分で菓子パン食べられない透析の方とか、送迎しているお年寄りの方、そういう方たちが、もうとにかく、あげられるものがないので、菓子パン持ってきてくれるんです。でもとても私たちも食べきれなくて。そのくらいもう、菓子パンいっぱい、おにぎりいっぱい、そういう感じで、避難所ではほんとに大変な生活をしていたなって思います。
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