8.荒れた学校で垣間見た教育の矛盾(2013年 TEDIC)
東日本大震災後の石巻で教育系のNPOを立ち上げた門馬さん。東京では大学院生、週末は石巻へ通ってボランティアの日々が続きました。そんな状況でしたが、大学院の制度もあって、埼玉県の高校で教鞭をとることにな
東日本大震災後の石巻で教育系のNPOを立ち上げた門馬さん。東京では大学院生、週末は石巻へ通ってボランティアの日々が続きました。そんな状況でしたが、大学院の制度もあって、埼玉県の高校で教鞭をとることにな
東日本大震災後の石巻で教育系のNPOを立ち上げた門馬さん。震災後、最初のゴールデンウィークで、子どもたちと合宿をしていいました。すると一人の高校3年生の女の子の活躍が目にとまりました。震災孤児である彼
東日本大震災後の石巻で教育系のNPOを立ち上げた門馬さん。子どものころに慣れ親しんだ石巻の惨状を見たショックを受けて数日間寝込んでいました。ようやく立ち直り、避難所を回って支援活動を始めましたところ、
東日本大震災後の石巻で教育系のNPOのTEDICを立ち上げた門馬さん。そして東日本大震災がやってきます。3月11日は東京の自宅にいました。当時参加していた教育系NPOの関係で、ボランティア募集があって
東日本大震災後の石巻で教育系のNPOを立ち上げた門馬さん。病み日記コミュニティの「先生志望集まれ」というトピックを見て、教育系のNPOのイベントに参加しました。そこで、スタッフの人との関わりの中で居場
東日本大震災後の石巻で教育系のNPOを立ち上げた門馬さん。ひきこもりだった学生時代、オンラインのコミュニティで毎日「病み日記」を書いていました。ところが、ある日そんなコミュニティで、ちょっと変わった書
学生時代の苦しい経験を経て、東日本大震災後の石巻で教育系のNPOを立ち上げた門馬さん。なんと、大学生時代はひきこもりだったというのです。その頃どんな生活をしていたのか、ひきこもり時代の生活について語っ
学生時代の苦しい経験を経て、東日本大震災後の石巻で教育系のNPOを立ち上げた門馬さん。はじめに「生きている意味はあるのか」という、重い問いかけがありました。なぜ、そのような問いかけをしたのか。それはこ
東日本大震災のボランティアとしてReraに参加したのに、いつのまにか法人代表になってしまった村島さん。震災後に被災者の足としてスタートしたReraは、それから毎日休むことなく移動をお手伝いをしてきまし
ん。2年間、毎日、休むことなく被災者の移動をしていると、時間ともに変化していく被災者のニーズが、手に取るようにわかるそうです。最初は津波で車を失った人たちばかりでしたが、今は高齢者・ 障害者の送迎が多
が、いつのまにか法人代表になってしまった村島さん。送迎支援の朝はとても早く始まります。朝6時半に集合してミーティングを終えたらすぐに出発です。それから夕方まで休む間もなく送迎の繰り返し。雨の日も雪の日
一人のボランティアとしてReraに参加したのに、いつのまにかReraの代表になっていた村島さん。東日本大震災から2年間、毎日、休むことなく社会的弱者に密着して送迎をしてきました。活動では常に現場の切実
東日本大震災のあと、仮設住宅の支援や復興起業家の育成に10年間携わってきました。 現在は、現場で積み重ねてきた経験を「記録」として残し、次の世代へ伝える活動を続けています。 このサイトでは、復興ボランティア学の講座やフィールドワークの記録をまとめて公開しています。