もくじ
2013年6月11日 TEDIC 門馬優 Part7
東日本大震災後の石巻で教育系のNPOを立ち上げた門馬さん。震災後、最初のゴールデンウィークで、子どもたちと合宿をしていいました。すると一人の高校3年生の女の子の活躍が目にとまりました。震災孤児である彼女の姿勢に感銘した門馬さんは、進学を叶えるため学習支援を始めます。
つらい状況なのに笑顔で動き回る女子高生に目がとまりました
合宿に参加した子どもたちは、みんな結構大変な思いをしています。バーベキューをやっているときにすごく目についた子がいて、当時高校3年生の女の子でした。中学生から高校生までがその場にみんないたわけです。その高3の子はすごいリーダーシップを発揮して、みんなのことをまとめて「はい、次これ焼くよ」とか、「食べてる?」とか、「お皿はい」とか、「タレあるよ」とか、すごくにこにこしながら周りを仕切ってくれていたのです。
僕はすごくその子の動きが気になってというか、印象に残っていて。大変な状況なのに、何でこの子はこんなに笑顔で、人に気を遣って、何かを持っていったり、笑顔で話し掛けたり、そんなことができるんだろうと感じて、夜にその子をつかまえて少し話をしたのです。
どんな話をしたかというと、その子に率直に聞いたのですが、「何でそんなに笑顔で、こんなに後輩とかにいろいろ気を遣ってそんな動きができるの?」という話をしました。そしたら、その子から返ってきたのが、「彼氏のお父さんに言われたから」と言うのです。僕はちょっとよく意味が分からなくて、何で彼氏のお父さんに言われるんだろうと思ったんです。
実はその子は、震災孤児と言われる子でした。全然分からなかったのですが、そのとき初めて聞きました。震災で、家族含めて親戚の方もみんな被害に遭われて、どこにも身寄りがなくなったそうです。それで、当時付き合っていた彼氏の家に保護されて、その彼氏のお父さんから言われた言葉なんだといってくれたのです。
どういうことかというと、当時まだご両親たちは行方不明でした。彼氏のお父さんいわく、「確かに行方不明だけど、でもまだ生きているかもしれない。もし、おまえのお父さんやお母さんが、どこかでおまえのことを見ているとしたら、おまえがいつまでもめそめそ泣いたり、暗い顔をしていたら絶対悲しむよ。おまえは今生きているんだから、笑顔でいろいろな人を元気にしながら生きていくのが、きっとお父さんもお母さんもうれしいことなんじゃないの?」と言われたそうです。
たった一人でもいい、目の前にいる高校生の夢を叶えたい
その女の子は、その言葉を大事にして、行動に移していたのです。「だから自分はずっとこうやって笑顔で、いろんな人が少しでも笑顔になったらいいなということをしている」と言ったんです。僕はそれを聞いたときにすごく衝撃的というか。「こんな人間でごめん」じゃないですけど、すごくその子のたくましさというか。絶対つらい思いをしているのに、それでもほかの人のことを思いやるという、その強さに、僕の心がグッとつかまれたような気がしました。
なんか自分のことを考えるとちょっと情けないなあとなるわけです。自分が同じ立場だったらそんなことは絶対にできないし、よくそんなことできるなと思っていました。
彼女は高3の5月なので、これから進路選択をする必要がありました。しかし、お金のこともあったりするので、どうなるか分からない状況でした。その子と話をしていくうちに、「自分はそういう経験をしているからこそ、人の力になれることが絶対あると思うから、私は看護師になりたい。看護の専門学校に行きたい」という話を僕にしてくれたのです。
ただ、よくよく話を聞いてみると、成績がすこぶる悪いのです。一学年280人いたら、279番みたいな状況なわけです。出席もしていないので、成績に斜線が入っているような状況で。これはかなり大変なことです。でも、本人は、それをかなえたい、少しでも勉強ができるようになって、専門学校に行きたいと言っています。
何ができるか分からなかったのですが、でも単純に目の前に、少しでもいい成績を取って自分の夢である専門学校に行きたいという子がいて、自分はずっと教員を志している人間で、自分の周りにもそういう仲間たちがいる。だったら、そんな大掛かりなことはできないし、たった一人の人を救うことしかできないかもしれないけれども、それでも絶対これはやる価値があると思って、僕はその女の子に学習支援を始めました。それが、今も活動が続いているTEDICの最初のスタートです。
東京へ戻って活動資金を集め始めました
ただ、僕は当時東京にいたので、ゴールデンウィークが明けたら東京に帰らないといけなかったのです。いったん東京に帰りました、自分の大学院が始まるので。ただ、石巻に行くのはやっぱりお金がかかる。ほかにも彼女みたいな子供たちもいると思って、何人か人を集めようとすると、その人数分のお金もかかる。とにかく資金を集めなければいけないと思いました。
まず大学のOB・OGにとにかく頭を下げまくりました。「自分のふるさとがこういう状態になっています」と言って。大学のサークルとか、同好会とか部活とかいろいろなところの飲み会とかに飛び込んでいっては、「この中で一番金を持っている人を紹介してください」と受付で言って、その人のところに行って「すみません、金ください」って頭を下げていました。
それを何度何度も。「おまえ、ばかじゃないのか」と言われたりもしましたが、それを何とか繰り返していました。当時、結構な額だと思いますけど、80万、何とか頭を下げ続けることで獲得することができました。
教材とかは近くの学習塾に飛び込みでお願いしてゲットして。一緒に行く仲間は大学院の同級生に呼び掛けをして。これで教えられる人も何とか確保できたし、お金も何とかなった。でも、借りた人もいるので、いずれ返すお金もありました。学習塾に飛び込みで教材もゲットして、何とかこれでいける。そう思って、東京から避難所に出張していました。
というのが、僕がひきこもりだったころから、今のTEDICという団体を立ち上げるに至った、活動の原形です。いろんな人に頭を下げまくって何とかお金をゲットしてと、すごく不格好だと思うんです。だと思うんですけど、自分にとってはすごく大きな一歩だったし、これがあるから今の活動があるのかなと思っています。
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