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2013年7月23日 移動支援Rera 村島弘子 Part1
東日本大震災のボランティアとしてReraに参加したのに、いつのまにか法人代表になってしまった村島さん。震災後に被災者の足としてスタートしたReraは、それから毎日休むことなく移動をお手伝いをしてきました。なぜ被災した石巻で移動支援が必要とされていたのでしょうか。それは、この講演のなかで徐々に明らかになっていきます。
「命の足」を支える活動をしています
はじめまして。NPO法人移動支援Reraの代表をしております、村島と申します。今年の2月に、NPO法人を取得しました。その前は、任意団体として2年間、災害移動支援ボランティアReraというかたちで、被災された方たちの移動のお手伝いというのを、ずっと続けてまいりました。
こういう場で、学生の皆さんにお話を聞いていただけるっていう機会をいただいたのは、初めてのことなので、たいへん光栄に思っています。お話を普段することが、めったにないので、あまりうまく話はできないと思うんですけど、聞いていただけたらと思いますので、少しの間、よろしくお願いします。
タイトルとして、私はすぐ、いつも「命の足」っていう言い方をするんですけれども、「被災地でいのちの“足”をつなぐ」というふうに、タイトルを付けさせてもらいました。ずばり、タイトルの段階で、もう結論を言ってしまうと、ライフラインなんです。
被災地における移動支援っていうものが何なのかっていうと、他にまったく移動手段を持たない人たちの、命を守るっていうこと。本来命を守るっていうことを、民間のボランティア団体が担うっていうことは、普通の状況ではなかなか考えられないことなんだけれども、そこを担っていかなくてはならないっていうのが、被災地における移動支援っていうことなのかなと、私は感じました。
Reraって知っていますか
私達、移動支援Reraって書いた、赤いロゴ付きのマグネット、それから車両を支援していただいている財団さんとか、カーシェアリングさんのマークの付いた、こういう車に乗っています。これもそうなんですけど、お年寄りとかそういう利用者さんに見つけてもらいやすいような、真っ赤っ赤な服を着て、毎日町を走っています。
ちょっとご質問なんですけれど、こういう車とかこういう人とか、今まで見かけたことがあるっていう人、どのくらいいらっしゃいますか。わりといらっしゃるんですね。
移動支援ボランティアReraっていうものの存在を、これまでに聞いたことがあるっていう方、どれくらいいらっしゃいますか。まあまあ、そうですね。ありがとうございます。
私達もずっと、本当に休まずに活動を続けてきてはいるんですけれども、いまだに移動の支援を必要としない生活をされている方とか、行政の方とかから「Reraってなんですか」ということを言われることが多いです。
ざっと、私達の今いる石巻の説明をしますと、言うまでもないんですけれども、宮城県内でもっとも被災の規模の大きいエリアです。この赤いエリアだけで宮城県全体のだいたい半分くらいの方が亡くなったり、県全体の40パーセント、約6万台もの車が流出している、かなりひどい被災地区で、私達は活動をずっと続けてきました。
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