もくじ
2013年6月11日 TEDIC 門馬優 Part5
東日本大震災後の石巻で教育系のNPOのTEDICを立ち上げた門馬さん。そして東日本大震災がやってきます。
3月11日は東京の自宅にいました。当時参加していた教育系NPOの関係で、ボランティア募集があって、1週間ほどして石巻へ入りました。しかし、見知った自分の祖父母の家の惨状を目の前にして、ショックのあまりに、数日間倒れ込んでしまいます。
揺れているのはテレビの都知事ではなく地球でした
大学4年の3月に起きたのが、東日本大震災でした。今からもう2年3カ月前です。当時、教育系のNPOでボランティアをしていた僕は、この震災を受けて、地元の石巻がえらいことになっているという電話を母親からもらって、すごくびっくりしました。
僕は学生でしたので、そのとき東京にいて、チャーハンを作っていたのです。キャベツを刻んでいました。キャベツをとにかく刻んでいて、それをしながらフジテレビを見ていたのです。何が映ていったかというと、石原慎太郎さんが都知事に再立候補するみたいなことをやっているときに、地震が起きて、石原さんがすごく揺れているわけです。「石原さん、大丈夫? やばくない?」と思ったら、揺れていたのは地球だったみたいな感じでした。
「え? こっちが揺れているの?」、本当にそんな感覚だったのです。どっちが揺れているか分からないくらいすごく揺れて。皆さん、宮城県の方がたくさんいらっしゃると思うので、そっちのほうは本当に揺れが大変だったのかなと思うのですが、僕はそのときそういう感じを受けました。
震災があった当日は母親と電話をしたきり、そのあと宮城にいるじいちゃん、ばあちゃんや友達に連絡を取ることはもちろんできなくて。それから1週間ぐらいずっともんもんとしていました。たまたまそのNPOにいたことがきっかけで、「現地に行ってくれないか」という話をもらいました。僕は自分の生まれ故郷がこういう状況になっているので、何としてでも行きたいという気持ちでボランティアに来たわけです。
今まで当たり前にあったものが、目の前から消えていました
そのときすごく衝撃だったのですが、これは震災の3カ月前の正月に家族で石巻で撮った写真です。これは、じいちゃん、ばあちゃん家です。現地に入って同じ場所の写真を撮ったのですが、もう全然分からないのです。本当に絶句しました。
僕は支援に来たのですが、よく分からなくなってしまって、発作みたいなのも起こしてしまって、しばらく休むことになったのです。あまりにも衝撃というか、自分が今まで当たり前にあると思っていたものが一瞬で姿を変えてしまって、自分の目の前から消えてしまう。僕は当事者というか、そのときいた人間ではないから、まだまだかもしれないけど、でもそのときの僕にとってはすごく衝撃でした。変わり果てたじいちゃん、ばあちゃん家を見て、本当に何もできなくなってしまいました。
すごく迷惑な話で、2週間ぐらい、支援に来た人間が支援されているような状態でした。それから復帰して、少しずつ町を歩いていくわけです。町を歩いていると、例えば、これは石巻の鹿妻地区です。道路に家が飛び出しているような状況があって。多分、映像や写真はたくさん見られていると思うので、詳しい説明は省きます。自分の慣れ親しんだ土地がこんなことになって。
これは自分のじいちゃん、ばあちゃん家の写真ですけど、家がもう前へ出てきてしまっていて。道路のほうに突き破って出てきているような感じになっていました。大好きだった北上地区です。北上地区も本当に高い波が来てこんなことになっていて。ということをずっとやっていました。
コメント