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2013年5月28日 ISHINOMAKI2.0 松村豪太 Part4
東日本大震災を契機に、石巻を面白い街にしてしまおうという想いから、ISHINOMAKI2.0を始めた松村さん。仙台の大学の大学院修了後は、定職に就かず過ごしていました。そんなとき地震がやってきます。いち早く石巻に駆けつけてきた人たちは、世の中のメインストリームから外れた人でした。その人たちがもたらした価値観には、いままでの石巻にない面白さがありました。
こんな大学の教室なんかにいる場合じゃない
そうやってとても楽しい自由な生活を送っていたので、学業の成績はそれほどパッとしなくて。一浪後、仙台の大学に進学して、そこで法律を学びました。法律からの関連でもあるのですが、法律の中でも僕は憲法を専門として研究していました。
憲法23条は、「学問の自由はこれを保障する」と規定しています。ちなみに、憲法26条には「国民の教育を受ける権利」が規定されています。あらためて皆さん自覚して、もちろん言われるまでもないと思いますが、皆さんは学生、大学生です。皆さんは生徒ではないのです。これはしっかり自覚していただきたいと思います。
違いは、条文から言うと、憲法23条の権利なのか、あるいは憲法26条の受け身的な権利なのかというところになるかもしれませんが、要するに自分で責任を持って自律した存在かどうかです。自律というのは、「自らを律する」と書きます。自律した存在として、学問を責任を持って追及する。真理を探究するのが学問です。
「生徒」というのは教育を受ける、教えてもらう、最初からある知識を受ける権利です。これは大きく違います。学問というのは、教えてもらう元がないのです。自分で世界を探すのが学問です。ですから、こんな大学の教室なんかにいる場合じゃないのです。どんどん外に出ていって、いろいろな人と触れ合って、いろいろな本を読んで、自分で考えて、自分の責任で夜遊びをして、人と争って、恋をして、ということをしなければならない。これが学問です。
そのあと、勉強がもともと好きなものですから、とてもいい先生と出会いまして、ずっと世の中の役に立たない研究生活をしていました。大学院まで進みまして、大学院修了後は、研究という名の好き勝手なことをしながら、それと並行して、夜遊びもとても好きなものですから、仙台のバーテンダーなんかをしながら、だらだらと怠惰な、非生産的な生活を送っていました。そこで迎えたのが2011年の3月11日です。
たくさん今までのこの授業とかでも悲惨な状態というのは見られたと思うので、いまさらですけれども、大変でした。ここは実際僕が、当時3月11日の2時46分から1時間後ぐらいですか。津波が来たのを撮影した様子です。これは、皆さんが大変な活躍をしたボランティアの拠点としての、石巻専修大学のテントサイトです。すごく一生懸命、素晴らしい活動をしてきたというのはほかの方たちがお話しすると思うので、省略させていただきます。
被災した街の夜はカオティックだった
実は当時、2011年3月4月、大変な状態の中で、あまりテレビとかインターネットの画面には載ってこないことが行われたということをぜひお伝えしたいです。例えばこれ、行ったことありますか。ラ・ストラーダという、北上川中瀬にかかる内海橋のたもとにあるライブハウスなんですけれども。そこではこうやってミュージシャンたちが、毎週のように応援に来ていたり。
テレビの画面ですと、ラーメンだったり、豚汁だったり、おかゆだったり、そういう優等生的な炊き出しが映っていたかもしれませんけれども。実はその優等生的な団体よりも、震災直後の町に来た、動きが速かった人というのは不良だったと思います。
不良というのは、人を傷つけるという意味ではなくて、世の中のメーンストリームとはちょっと別のところを生きているという人という意味での不良です。例えば、音楽をやっている人だったり、バイクに乗っている人だったり、あるいはタトゥーを全身に入れているようなアーティストだったり。そういう人が結構、ほかの団体を経由したラインとは別に支援に入っていました。
そういう人たちは、町の中でアルコールの炊き出しなんかやっていたのです。多分、自分ごとに置き換えたのでしょうね。「自分だったら、テレビも電気もなくなったときに、お酒を飲みたいだろう。被災地は全部流されているらしいじゃないか。じゃあ、絶対お酒を持っていったらみんな喜ぶよ」ということでアルコールを持ってきたのでしょう。
決して変などんちゃん騒ぎをするのではなくて、アルコールでリラックスしながら、地域のお父さんお母さん、おじいさんおばあさんとフラットに付き合いながら、会話をしながら励まし合う。そんな光景が、実は町の中にありました。
津波を受けて、柱だけ残ったような掘っ立て小屋みたいな所に、誰も聴いていないのにギターをかき鳴らし続けているようなおやじがいたりして。そういうちょっとカオティックな、カオスな状態もあったりして。実は震災後の町というのは、面白いものがたくさんあったのです。
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