7.日によって4倍以上も変動したボランティア数
東日本大震災の災害復旧活動で大きな力を発揮したボランティアですが、常に何千人も活動していたわけではありません。石巻復興支援協議会はボランティア数の統計を取っていましたが、週末と平日で、ボランティアの人
2013年の記録です
東日本大震災の災害復旧活動で大きな力を発揮したボランティアですが、常に何千人も活動していたわけではありません。石巻復興支援協議会はボランティア数の統計を取っていましたが、週末と平日で、ボランティアの人
東日本大震災の石巻では山となって道をふさいでいたガレキでしたが、ボランティアの力によって、わずか2日間できれいになりました。そうした大きな力を発揮したボランティアは、災害ボランティアセンターと石巻復興
東日本大震災の石巻でNPOの連絡調整を担っていたい石巻災害復興支援協議会は、石巻専修大学から拠点を借りていました。大学の校舎を借りて活動していた協議会では、団体でやってくる大勢のボランティアを受け入れ
東日本大震災の災害復旧活動で、石巻災害復興支援協議会は、独自の活動を展開してたNPOの連絡調整機関として機能していただけでなく、災害ボランティアセンター、行政、自衛隊との連携も図っていました。
東日本大震災による石巻の被害は甚大なものでした。社会福祉協議会が立ち上げた「災害ボランティアセンター」からは、一般ボランティアを派遣して、被災者の家の中に押し寄せたガレキを、人力で除去していました。
東日本大震災の支援活動に参加する前は、ハイチ地震(2010年1月12日発災)の支援活動をしていた中川さん。海外とは違って、被災しても他者を思いやる日本人の姿勢に感動します。その感動が石巻での活動の支え
東日本大震災の支援物資を自分の手で配りたいからという理由で、京都から被災者へやってきた中川さん。当時、石巻専修大学で開催されていたNPOの連絡会議へ出席したことをきっかけに、石巻での支援活動を始めるこ
東日本大震災のボランティアをきっかけに石巻に定住した魚谷さん。不安定な収入であっても、やりたいことが何でもできるので、幸福感の高い生活を送っています。幸せは、金銭という尺度で決まらないことを、復興支援
神戸生まれ、神戸育ちの魚谷さん。阪神淡路大震災を経験したものの、神戸の復興は傍観者のような気持ちで見ていました。ところが東日本大震災のボランティアで石巻へ来てから、若い世代が当事者として復興に関わるこ
東日本大震災のボランティアから蛤浜の再生に関わるようになった魚谷さん。海岸でのゴミ拾いや、廃材を使ったあずまやづくりの活動経験を通じて、これからの郷土を守るためには、一人一人の行動が必要だと訴えかけて
ため、「石巻海さくら」の活動も手伝っています。蛤里プロジェクトともコラボレーションで活動をしているそうです。
した魚谷さん。On the Roadを辞めたあと「蛤里プロジェクト」に加わりました。プロジェクトで最初に手がけたことはカフェ「はまぐり堂」をオープンすることでした。
東日本大震災のあと、仮設住宅の支援や復興起業家の育成に10年間携わってきました。 現在は、現場で積み重ねてきた経験を「記録」として残し、次の世代へ伝える活動を続けています。 このサイトでは、復興ボランティア学の講座やフィールドワークの記録をまとめて公開しています。