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2013年5月7日 On the Road 魚谷浩 Part7
神戸生まれ、神戸育ちの魚谷さん。阪神淡路大震災を経験したものの、神戸の復興は傍観者のような気持ちで見ていました。ところが東日本大震災のボランティアで石巻へ来てから、若い世代が当事者として復興に関わることの大切さを痛感します。
※動画はありません。書き起こし文章のみです。
阪神淡路大震災の激震地に生まれて
こういった関わり方を、僕は石巻に来てからしているんですが、僕の出身は兵庫県の神戸市です。18年前の阪神淡路大震災によって被災し、しかも激震地だった東灘区の生まれです。ご存知の方がいるかどうかわからないですけど、高速道路が崩れて、バスが飛び出てたっていう映像が、よくテレビで流れていたと思うんですが、ほんとにその近くが、僕の生まれ育った場所です。
その地域の高校に進学して、仮設校舎で1年半ほど過ごしたました。そのあと4年間、四国の大学に行き、卒業して10年近く飲食系の会社で働いていました。実はこの石巻に来るまでのあいだ、被災したにも関わらず16年の間、神戸の復興に携わったことが1度もなかったんです。
神戸に住んでいる多くの僕ら世代の若者は、だいたいそうなんですよね。あれだけ被災したにも関わらず、あまり復旧・復興に関わったっていう、僕ら世代、いま活躍しないといけない現役世代の若者は少ないのです。
神戸の街は自分と関係なく変わっていく
僕が石巻に来てから気づいたのは、あのとき、神戸の復旧復興活動にもう少し関わっていたら、今の神戸の姿も少し変わっていたかなと思うんです。というのも、僕は今の神戸の町並み、復興した神戸の町並みが、あまり好きではありません。神戸で何か起業したいかという意欲もないんです。ただ神戸には実家があって、生まれ育った場所っていうイメージです。
なぜかというと、僕が見る神戸という町に、魅力がないというか、関わりを持てないというか、もっとくだいて言うと、神戸に対して、何かできる自信がないんです。もうあれだけ復興してしまったら、自分が何をしても街には関われないんじゃないか、ただそこで暮らすことだけしかできないのかなと思ったんです。
今回、石巻に来てから気づいたことです。実は神戸はすごく人口が多いので、僕1人がそういう気持ちでも、まったく問題はないです。経済状況、神戸市は非常に悪いですが、人口だけは多いので、街そのものが消滅することはないはずです。
傍観者でいては石巻の復興はありません
ただこの石巻、特に僕が今関わりを持っている蛤浜というところなんかは、本当に過疎化が進んでいる町なんですが、その中で、神戸の僕みたいな人間が一人でもいると、これ非常にまずいことです。できればいないでほしい。
僕の場合、結果論なので、いま授業で学ばれているみなさんが、はたしてそういう気持ちになるかどうかといえば、僕はその時そうじゃなかったので、やれあれせい、これせいと、上からもの申すようなことはできません。でも、いま一番必要なのは、皆さんの力だと思うんです。
石巻の復興にどれくらいの時間がかかるか、まったく見当がつきません。ただ復興したあとの町に住むのは、その復興したときに活躍するであろう、今の若者だと思うんです。その今の若者と呼ばれる人たちが、いかにこの復旧・復興活動に関わるかによって、本当にその土地を愛する郷土愛でが、より深く芽生えるんじゃないかなと思っています。
人間って不思議な事で、大きなきっかけがあったりしないと、気づかないようなことがたくさんあるんです。僕は神戸にいて震災を受けて被災したにも関わらず、その時若かったからという理由で、一切何も気づいてなかったんです。
できれば皆さん含めて、高校生、中学生、それよりまだ低学年の小学生だったりを含めて、できるようなことを皆さんの力で考えていただいて、この石巻はじめ、東北沿岸部で、新たな文化を築いていただけたら、本当にみんなの誇れる町になってくるのではないかと、僕は思っています。
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