もくじ
2013年4月23日 みらいサポート石巻 中川政治 Part1
東日本大震災の支援物資を自分の手で配りたいからという理由で、京都から被災地・石巻へやってきた中川さん。当時、石巻専修大学で開催されていたNPOの連絡会議へ出席したことをきっかけに、石巻での支援活動を始めることになりました。
支援物資に同行して京都から来ました
一般社団法人みらいサポート石巻の専務理事中川政治と申します。初めに石巻専修大学のみなさんにお礼を申し上げます。私が2年前に石巻で支援を始めたときにすごくお世話になりました。当時、私たちの団体の事務所は5号館の図書資料室をお借りしていました。本当に専修大学がなければ、支援活動を継続できていないし、ここにもいなかったことでしょう。改めて関係者の方にお礼を述べさせていただきたいと思います。本当にありがとうございました。
私自身がこの被災者支援といいますか、石巻での支援に関わるようになったことを簡単にご説明します。私が石巻に来たのが3月29日です。私は京都の出身なのですが、京都の市民団体が東北に向けて募集した物資の仕分けに参加していました。京都で自分が積んだ支援物資が石巻へ行くというので、実際に東北の人たちに手渡すところまで手伝いたくて3月末に来ました。
そこで目にしたのが、東北の方々がこちらで一生懸命になって物資を配ったり、全国の支援者が集まって情報共有されたりされているところでした。本当にすごいなと思ったのは、来る途中でもう高速道路が直りはじめていることでした。それまで海外支援もやっていたのですが、海外ではそんな簡単に直すことはできません。
他にも緊急支援物資の車も行き交っていました。その時は海外から帰って来てすぐだったってこともあったので、日本はなんて素早い対応をしている国なんだと思いながら、石巻に入った憶えがあります。
石巻に残って石巻災害復興支援協議会に参加しました
石巻では、初め物資の配布を手伝っていました。2日目ぐらいに、石巻専修大学の5号館でボランティアセンターの声掛けで始まったNPOの連絡会があると聞きました。そこで情報交換をしていると聞いて、お邪魔したのが3月30日だったと思います。ここにいれば、いろいろな支援に関われるだろうと考え、大学を拠点にした活動を手伝うようになりました。
それからボランティアやNPOが、続々と大学へ集まって来ました。私たちが、石巻災害復興支援協議会を結成した当初、大学から信用されていなかったものですから、鍵を借りることができなくて、夜の10時ぐらいまでみんなミーティングしてから、いざ帰ろうといときに、鍵を閉める人が誰もいなかったんです。なので、部屋の中から鍵をガチャッと閉めて、私は中に閉じこもって部屋の中に寝ていました。
ボランティアの人たちはテントに泊まっていたんですけれども、部屋の中にはパソコンとか、被災者を回って集めた情報やデータとか、盗まれてはいけないものがあったので、鍵を開けっ放しにしたままテントへ帰れなかったのです。
コメント