4.「つなプロ」の次に、自分ができること

つむぎや

東日本大震災で沿岸部は大きな被害を受けていて、そのなかで一人の人間として何ができるのかわからなかった。つなプロで牡鹿半島を回っていたとき、災害ボランティアが誰も来ないといういう話を聞いた。そこで東京の友達に働きかけて、牡鹿を支援するボランティアチームを結成し、活動を始めた。

2014年5月20日 つむぎや 友廣裕一 Part4

一人の人間として被災地にできること

つなプロは、1回避難所を全部回るんです。なんとなく状況が分かって。プロジェクトとしては、そのあとの変遷を見ていきたいというので、全避難所を3回まわろうというのがゴールとしていたんです。

僕は、個人的には、3回まわってもどうかなと思っていました。僕のやるべきことというか、それはそれでやりながら、次のステップに僕自身が行かないといけないなと思って。皆さんが当時どういう状況だったのかよく分からないですけど、僕としてはものすごい、やっぱりこの状況を見て無力感を持ちました。

僕の周りの人も結構そうだったんですけど、やっぱり物事が大きすぎるじゃないですか。沿岸部はみんな被災していて、そのなかで一人の人間として何ができるのかというのが、すごい分からなくて。こんなにグルグル回ってるけど、いったい自分はどこにエネルギーを向けたらいいかというのが分からなくて、焦燥感みたいなのがすごいあったんです。

罹災してもコミュニティが機能していた牡鹿地区

そんなときにたまたま牡鹿半島を回ってたんですね。牡鹿半島って、石巻の人はあんまりいなさそうだったので。分かりますか、ここにぶら下がっているこの半島。僕は、石巻というか牡鹿半島ばっかり行ってたんで、牡鹿半島のことは詳しいんですけど。南にピョロンとぶら下がっている半島ですね。こんな形。

入り江みたいになってるところに集落があるんですよ。だいたい湾になってるところに。こういうところとか、こういうところとか。この半島に30ぐらい集落があると言われていて。入り江のところに平地があるから集落ができるんですけど、当然入り江に入れば入るほど波が高くなるので、だいたいすごい大きい被害を受けていると。さらに道が悪かったりして、結構孤立したりしてたんですね。

というので回っていったんですけど、避難所の状況把握みたいな意味でいうと、全然必要なかったんですよ。なぜかというと、みんなコミュニティがしっかりしてるから、「足の悪いおばあちゃんはあそこにいるよ」みたいなことはすべてみんな分かっている。だからべつに今さら特別に困ってる人はいないというか、みんな困ってるけど、困ってるなりに支え合って生きていた。

災害ボランティアからこぼれた地域へボランティアを送る

それよりもっと、例えば「ボランティアという人はうちには来たことないんだよね」みたいな話とか、「炊き出しとか食べたことないんだよね」みたいな話が、結構4月の中旬とかでもまだあったりして、「じゃあそれは必要だ」って。

実は、またここも脱線するんですけど、僕の大学時代の友だちが東京にいて、みんな社会人になったりしてるんですけど、彼らに特別にボランティアチームを結成してもらって。こういうの言っていいのか分かんないですけど、基本、石巻はここ(大学)がボランティアセンターになっていて、みんなボランティアはここに集まって、ここからいろんな地域にボランティアが出ていったんですね、。

結局、この鮎川浜とかって、今も2時間半ぐらいここからかかると思うんですけど、当時、道が悪かったりすると3時間半、4時間かかったり。ボランティアの時間って午前10時から午後4時とかですね、確か、当時。それだと、往復している間に、向こうでする時間が何もない。4時間かけて、往復8時間かけたら何もボランティアできないし、ましてや泊まる場所もないし、みたいなので最初の頃は全然人が入ってなかったんです。

 というので、ボランティアセンターを通じたらここには人は来れないから。じゃあ僕が直接ここで困ってる人の声を聞いて、東京でボランティアチームを結成してもらって、そこから直接毎週末、牡鹿半島に来いと。来て、直接ここに送り込むみたいな。ここと雄勝も当時みてたんですけど、そこへ直接人を送り込むみたいなことをやっていました。毎週末、20人ずつぐらい、小さいんですけど結構細かいニーズに対応してすごく喜んでもらったりしてました。

動画 Part4(2014年 つむぎや)


やっさん

東日本大震災の仮設住宅支援、復興起業家育成に関わってきました。大学では、震災復興を考える講座やワークショップを実施しています。ここでは、復興ボランティア学講座の記録をまてめて、公開しています。

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やっさん

東日本大震災の仮設住宅支援や復興起業家育成に10年間携わってきました。現在は震災復興に関する講座やワークショップを実施しています。ここでは、復興ボランティア学講座の記録をまとめて公開しています。

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