旅で知り合った集落の人たち。彼らの「やりたい」を実現する何でも屋をやっていた。それから、1年半ぐらいたったときに震災が起きた。旅をする中で、東北でもすごいお世話になった人がいっぱいいたから、フリーで自由に生きている自分が動くしかないと思った。そんなとき「つなプロ」という被災者支援のプロジェクトに誘われ、現地マネジャーとして被災地入りをした。
もくじ
2014年5月20日 つむぎや 友廣裕一 Part3
フリーで自由に生きていたから、被災地支援に行けた
そんなふうに生きて、ずっと一筆で回ってたのは180日しか回ってないんですけど、70から80カ所ぐらいずっと泊まり歩いて、北海道から沖縄までずっと回ってきました。
そうして何でも屋さんをやってたところ、何でも屋をやってたのが2009年の8月からなんで、1年半ぐらいたったときに震災が起きました。僕がずっと回ってたときに、東北でもすごいお世話になった人がいっぱいいたんです。実は石巻にはその旅のときには来たことがなかったんですけど、気仙沼とか陸前高田とかあの辺ではめちゃめちゃお世話になった人がいっぱいいました。
会社員とか公務員の人はなかなか東北へ行きたいと思っても行けない、仕事があるから長期で休むのとか無理です。僕はそんな感じで、フリーで自由に生きれたんで、震災が起きた後、こんなときやっぱり動けるの自分ぐらいしかいない、自分がやらなかったら、いったい誰がやるんだろうと思っいました。
どうやってこの地域に入ろうかと思っていたけれども、なかなか一人で入る勇気はなかった。それこそ自分にとって初めての災害で、行ったら迷惑になるんじゃないかなとか思ってしまう。自分の生きていくことに対してちゃんと責任持てるかといったら、それもあんまり自信がなかったし、どうしようと思ってた。
そんなとき「つなプロ」というプロジェクトが立ち上がるというので、「それの現地のマネジャーを探してるからやってくれないか」みたいな話が来て、「ぜひ行かせてください」といって出てきました。
通常の支援から漏れる人たちを避難所で見つけ出す
「つなプロ」というのは、知ってる人もいるかもしれないですけど――。とりあえず震災が起きたら避難所がいっぱいできますよね。ここもたぶん避難所になってましたけど、バーッと人が何千人と体育館に集まってきたりする。そこで管理人みたいな人が設定されるんです。ですけど基本プロはいないんです。皆さん突然わっと、人がと集まってきて、「管理人」「はい!」って言ってるときに誰もそんな経験してる人いないわけです。
となるとどういうことが起きるかというと、ちゃんとマネジメントできないんです、基本的に。ちょっと落ち着いてきたら、自衛隊の人とかに、食料をいくつ欲しいと言うんです。そのときに管理人の人は基本健常者です。健常者だから基本カオスの中でも健常者ベースの必要最低限のものしか集まってこない。
でもそうじゃない人がいる。そういう支援からもれる人。アレルギーがあるとか、持病があるとか、障害があるとか。一般的な、水と毛布と食料があれば生き延びれるみたいなところからもれる人たちがいる。そういう人たちの状況を、行政の人たちも被災してるから誰も把握できてない。それをいち早く面的にすべての避難所を回って、どこにどういう人がいるか、という状況をつかまないと何も始められない。それをいち早く把握しようといってできたのが、そのつなプロというプロジェクトでした。
阪神大震災のときに立ち上がったNPOの人とかが結構中心になって、東京のNPOとか仙台のNPOとかが一緒になって、宮城県内の避難所を把握するため、何人かマネージャーみたいな人を集めてました。そこに毎週ボランティアの人が100人ぐらい来て、それをエリアに分けて、ひたすら3人1組で全避難所を回ります。回って、どこにどういう人がいる、困ってる人がいるといったら、翌日そこにお医者さんを連れていくとか、看護師さんを連れていくとか、何か特別な物資を持っていくとか、というプロジェクトをやってました。
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