8.鹿のツノでものづくりをしよう

つむぎや

牡鹿半島では1年間で1,000頭ぐらい鹿を駆除している。その鹿の角を加工すれば、よい手仕事になると考えた。最初に猟師さんとコンタクトをとって、鹿の角を約200本ほど手に入れた。次は加工だ。しかし鹿の角は硬くて加工しにくい。あるとき、元捕鯨船の乗組員だった人が、鯨の歯の加工技術を活かして鹿角を加工していることを知った。その人に教えてもらいながら、鹿の角を使ったものづくりが始まった。

2014年5月20日 つむぎや 友廣裕一 Part8

駆除された鹿の角で何かをつくってみよう

何かできないかという話があって。僕、鮎川浜って半島の先っぽまでずっと通ってたんですけど、牡鹿半島へ行ったことがある人は分かると思うんですけど、「シカ飛び出し注意」とかめっちゃ看板立ってるんですね。

めっちゃ鹿がいるんですよ。牡鹿半島って名前のとおりなのかよく分からないですけど、めちゃめちゃ鹿がいて。僕、鮎川浜まで行くとき最大30頭ぐらい遭遇したんです。

特に震災後すぐの時ってクルマが走ってなかったから、めちゃめちゃ鹿が下りてきてて、何回もひきそうになるみたいなことがあって。この鹿を何か使えないかなとずっと思ってたんですよ。

こいつら何か使えないかなと思ってて。ふと、そういえばこいつら角生えてるけど、角ってどこ行くんだろうと思って、それを結構リサーチしてたんです、会う人全員に。「角持ってる人いないですかね」って。

角を持ってる人がいないかというのと、角を加工してる人が一人ぐらいいるんじゃないかと思って。これだけ鹿がいたら、何か物好きな人がいるんじゃないかと思って、ひたすら聞いてたんです。

そしたら、ここに猟師さんがいるんですね。鉄砲撃ちの猟師さん、鹿の猟友会をやってるおじさんがいて。それはチョー偶然なんですけど、道の駅で鹿肉の缶詰を売ってるのを見て、買ったんですね。

おいしかったので、裏の問い合わせ先に電話してみたら猟師さんで、とりあえずうちに来いと言われて。会いに行ったらホットプレートが置いてあって、「はじめまして」ったら、「とりあえず座ってこれ食え」って鹿の焼き肉を食わしてくれて。

「うまい、うまい」って食ってたら、「おまえ何しに来たんだ」みたいな感じになって。いや実はこんなことを、牡鹿半島でおかあさんたちの仕事とかつくれないかと思ってて、みたいな話をしたんです。

そういうことならと。実はこの牡鹿半島って、1年間で1,000頭ぐらい鹿を駆除していると。ほとんど捨ててるらしいんですね。猟師さんたちのなかには、立派な角があったらもったいないからとりあえず切って取ってる。倉庫にいっぱい眠ってるから、オレが集めてきてやるって、最初200本ぐらいそのおじさんが集めてきてくれたんです、ガサッて。

鹿の角を加工できる人を見つけた

これで鹿の角が手に入ったと思って。さて、じゃあこれからこの加工をどうしようと思って。鹿の角ってめちゃめちゃ硬いんですよ。素人だとなかなか加工はむずいなと思って。どうしようと思ってたら……。

鮎川浜というところは、さっき日本三大捕鯨地と言ったんですけど、ほんと鯨の街なんですよ。最近騒がれてましたけど。鯨の基地があって、大きい水産加工会社、鯨の会社が昔7つぐらいあったらしい。マルハニチロとか、大洋捕鯨とか、ニッスイとか、ああいうところがいっぱいあったらしくて。そこで働いていた、というか捕鯨船に乗ってたおじさんと出会ったんですね。

もともと捕鯨船乗組員で、今は牡鹿半島のキャンプ場の管理人をやっている、アベさんというんです。僕ら「師匠」と呼んでるんですけど。師匠と出会って。この人は、捕鯨船に乗ってる間、南極とかまで行くんですよ。

すごい長い道のりらしくて、しけたりすると何もすることがないから、この人は手が器用なんで、鯨の歯とか、これ持ってるのは骨なんですけど、骨とかを使っていろいろ置物とかアクセサリーとかいろいろ作ってたらしいんです、趣味で。寄港地の港に寄ったときにそれを地元の人にプレゼントするみたいなことやってたらしくて。

今、引退してキャンプ場の管理人やってるんですけど。管理人をやってたら、回ってたら鹿の角がボロボロ落ちてるらしいんですよ。それを拾ってきて、当時鯨の歯でやってたのと同じ要領で、鹿の角でいろんなものを作ってたんです。

あれは鯨の歯で作ったペンギンなんですけど。そのおじさんがやってたのは、鹿の角でリングとか、指輪とかをピッカピカに磨いて作ってたんですよ。見てビックリして。「こんなになるんすか」みたいな。

まさにこういう人に出会いたかったんだ、と思って、実はこうこうこうで、こういうことをやりたいと思ってて、みたいな話をしたら、そういうことならどこでも行って教えてやるって、師匠がそのあと浜に来てくれて、技術を伝授してくれるようになったんです。

牧浜というところに、流されなかった高台に集会所があるんですけど、ここにみんなおかあさんたちが集まって、2011年の9月ぐらいからですかね、鹿の角を使ってものづくりを始めました。

動画 Part8(2014年 つむぎや)

https://youtu.be/4eH8Z2C1S7U

やっさん

東日本大震災の仮設住宅支援、復興起業家育成に関わってきました。大学では、震災復興を考える講座やワークショップを実施しています。ここでは、復興ボランティア学講座の記録をまてめて、公開しています。

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やっさん

東日本大震災の仮設住宅支援や復興起業家育成に10年間携わってきました。現在は震災復興に関する講座やワークショップを実施しています。ここでは、復興ボランティア学講座の記録をまとめて公開しています。

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