東日本大震災の災害ボランティアセンターで奮闘していた、石巻市社会福祉協議会の阿部由紀さん。災害ボランティアセンターへ、大挙して来る企業とか個人のボランティアは、地域事情や作業内容、リスクなどが分かっていない状態でした。そういったボランティアをとりまとめて支援するボランティアもいました。
もくじ
2014年4月22日 石巻市社会福祉協議会 阿部由紀Part8
未知の危険と隣り合わせだったボランティア作業
ボランティアにボランティアが付かなければならなかった事実というのを、皆さんにご紹介したいと思います。企業とか個人とかでバスで乗り入れてボランティア活動をされる方はいるけれども、地域事情や、今日の作業内容、あとリスクなど、そういったものをまったく分かっていない。
例えば、当時、放射能がどのぐらい降っているのかというのも、知らされていなかったので、こちらから調べなければならなかったのです。あと薬品とかそういったもの、例えば市立病院が壊れました、その津波が来たところに僕一人で調査に行きました。真っ黒い真っ暗な市立病院に一人で調査に行ったときに、変な臭いと、あと何とも言えない怖さ、寒気が出るような思いをしました。あの状況で、本当は何か変なものを嗅いでいるのだと思います。
そうやって、薬品とかそういうのも散らばって、特に石巻の工業港付近はそういった化学製品等々の臭い、ヘドロのような部分でフツフツ下から湯気が沸いていて、泡がブクブク出ているところに、ボランティアが行くのです。
それから工業港ではなくて逆側の港とか、渡波方面のところでは水産加工場があるから魚が流出してしまっているので、その腐敗した臭いとの戦いです。石巻の町中というのは、その2つぐらいの大きなにおいの境目があったと思っています。
ボランティアの助けで運営していたボラセン
それに対してこういったボランティアが、彼は熊本から来た子ですが、塾の講師をしていたのを辞めて彼は来ました。うちの職員になりましたが、ちょっとおふくろさんが急病になって熊本に戻りました。彼なんかもこの災害を見過ごすわけにはいかないという一人です。
だから変態ですよ、はっきり言って。こんな変わり者はあんまりいないのです。俺らはありえないのです、サラリーマンとしてそれはありえない。いくらどこかで何かが起きたとしても対岸の火事、たぶんそういう人が大概多いと思います。この人たちがいたから、あの災害ボランティアセンターは非常に助かったというのは否めないのです。
いま、町中にいらっしゃる方でそういう人はたくさんいるのです。皆さんもすれ違っているとは思います。彼らたちは恩着せがましく暮らしていないんです。受け入れ総数でこのような数字を残せたのも、すべて彼らのおかげなのです。
黒子としての社協の役割
我々はその場の提供と専修大さんとの交渉したり、あとどういう支援をするかというライン引きですね。どういうラインを引くかなんていうのは、我々の仕事でしたけれど、その他すべて現場判断なのです。だから彼らに判断を委ねて、すべてボランティアの皆さんに請け負っていただきました。
実際に、例えばボランティアさんが活動して修繕費が出たとき、本当はボランティア保険に入るので、損保だから壊したものに関しては、損保扱いで補填ができるのです。
ただ重機とかそういったもので壊したものに関しては補填ができなくて、それについては社協のほうで交際費と称するもので出させていただきました。ちょっと金額は言えませんが、結構高い金額です。
そういった部分はありました。でもそういうのが社会福祉協議会の黒子としての役目、我々がやってきた石巻というものに対しての支援の役割でした。
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