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2014年4月22日 石巻市社会福祉協議会 阿部由紀Part4
東日本大震災の災害ボランティアセンターで奮闘していた、石巻市社会福祉協議会の阿部由紀さん。ボランティアセンターのあった大学には、臨時の避難所もできていました。阿部さんは避難所の支援もしていて、食べ物の配分や支援の優先順位など、毎日が決断の連続でした。
避難所では胸ぐらを捕まれて食べ物を要求された
みんなが今座っているここの4号館には、たまたま被災した方々がたくさんいて、あの当時でたぶん700人とかそういうレベルで、自衛隊に運ばれてきたり、もしくは自分で避難してきたりした方がいました。
そのとき俺は一人でここにいたので、被災者から胸ぐらをつかまれながら「たくわんねえか」とか、「おにぎりねえか」って言われたのです。だから当時は先生たちや学生さんたちに、非常にお世話になりました。やっぱりそういう状況は、24時間体制ですから、教職員のひとたちも疲弊しましたよね。
そこで、我々みたいなのが来て、ちょっと学校関係者には離れてもらって、僕対何百という数字になるのです。だから今ここに座っているような数字ではないですね、ここは100人や200人ぐらいですから。
それにバナナが届くのです。バナナをここで俺一人の手で配るのです。座っている人たちに向けて、一人で。それを見かねた若い世代の方々、20代のカップルだったような気がしますが、その方々が徐々に手伝ってくれました。あのくそ寒いのに全部渡し終えるのに汗だくだったですね。それが次の日かな、12日あたりの出来事です。
13日も何か届いたかと思ってヘリコプターが来たので見に行ったら、またバナナでしたよ。あれにはあぜんとしました。
避難所で高齢者よりも子供を優先する決断をした
それから子供支援で考えてほしかった部分があります。当時、乳幼児もいたのでミルクとか、そういうのもなかなか届かない状態で、お母さんにだっこされるしかない子もいたのです。加えて、水に濡れたような高齢者がこの1階辺りに結構寝ていました。毛布はたった30枚しか届かずでした。
じゃあ何をするかと、高齢者を見過ごすしかなかったです。俺は社会福祉協議会として老人福祉をやってきて25年以上たつのです。初めて高齢者を裏切る瞬間ですよね。誰を助けるかといったらやっぱり子供を助ける、赤ちゃんを助けたい、そっちのほうに考え方はいく。だから「先輩方ごめん、君たちは十分生きた」というふうに考えました。
今でもその考え方にトラウマになっています。あのときに見逃したというか、本当に具合が悪くてその辺に寝ている人を、またいで通って歩く担当者。あれは社会福祉協議会の職員として今でも心の奥底に何か残っているものがあります。
でも災害時はいかに生きるかですから、それを考えると間違ってはいなかったと、いまでも思っています。誰一人として死ななかったのは確かですから。だからベストを尽くすといっても、どういうふうにして、みんながベストを尽くすかということ。冷静な頭で災害時は判断をしなければなりません。他の生命を守るというより、まずは自分の生命を守ることが大事です。そこから始まらないと大事な命も守れないです。
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