東日本大震災の災害ボランティアセンターで奮闘していた、石巻市社会福祉協議会の阿部由紀さん。阿部さんが言うには、ボランティアの多くは、見た目で「ガラが悪い」が、1000年に一度という災害に真摯に向き合っていました。真剣になるあまりに、ヒートアップするボランティアもいましたが、それだけに大きな力を持っていました。
もくじ
2014年4月22日 石巻市社会福祉協議会 阿部由紀Part7
真剣になるあまりにヒートアップするボランティアたち
当時の陸上競技場はこのような形で、テントが500張以上はあったと思います。1,000人ぐらいの得体の知れない方々が来て、大学には迷惑かけました。夜たしなむ程度のお酒は OK と許可を頂いていたのですが、たしなむ程度じゃなかったです。全部で10回ぐらい救急車が来ましたかね、警察も。
ここはどこだと思っているというふうに注意して歩いてくれたNPO の方々もおられました。大学のキャンパスの利用について、キャンプサイトルールというのも復興支援協議会の方々に作ってもらって、それを彼らが皆さんにお話しに行くわけです。
それだけケンカやトラブルがありました。私も1件ほど巻き込まれましたけれども、非常に殺気だったというか、ある意味熱のこもった方々が来ているので、復興支援とかボランティアに対しての熱でケンカになるのです。お酒もちょっと入るから、「どうしてもこう思うんだ」とか、「ここはこうしなくてはいけないのだろう」とか、「いやお前の言っているのは間違っている」みたいな口論がしょっちゅうでした。
彼らは1,000年に一遍のこの災害というものに対して仕事を辞めてきたとか、もしくは今まで何の目標もなかったけど、この災害を映像で見て黙っていられなくて来ましたという人が結構多かったのです。ここでテント張っている人の多くはそうです。
ちょろっと2、3日だけ仕事を辞めないままボランティアに来た人と、強い思い入れを持ってボランティアに来た人では、まるっきり考え方が違う。俺はちょろっと行くぐらいです。今までもそうでした。ちょこっと1週間行ってくるとか、10日行ってくるボランティア活動はしました。
けれども1カ月も1年も、長い方でもう3年もいます。どんなふうに収入、今までの自分の貯蓄を散財しているのですよ、でも。そういう方はきっちり貯めていて、そういうのを石巻で活動されている方が多いです。
災害ボランティアたちと純粋に真摯に意見を交わした
これは野球部の雨天練習場です。ここは資材倉庫になって、ここ一面がこのような形で使われました。この修繕費は結構高かったと思います。いくらか分かりませんが、床を全部張り替えしなければいけないぐらいでした。ここに野球部の方いるかもしれませんが、ものすごい状況でした。
土のう袋というのが市のほうから毎週のように10万袋来て、その10万という数字を1週間で使ってしまうぐらいの石巻はパワーのあったボランティアの方々がいました。4カ月以上毎晩この会議をするのです。泥かきのミーティングだけでこれだけいるのです。
このほかにいろいろな復興支援協議会さんのほうでやっている子供支援やら、例えば炊き出しやら、リラクゼーションやら、いろいろな分科会がありました。
これは我々社会福祉協議会が主体となってやっている泥かきのミーティングです。ほら、ガラの悪いのがたくさんいるではないですか。このガラの悪い連中に、我々みたいなネクタイしか締めていない人間が立ち向かうわけです。そこそこきついです。けんか口調にももちろんなりますし、その場にいられない職員も確かにいました。
でもやはりこの人たちの目というのがすごい純粋で、まさに見てくれはこんななのですが、非常に純粋に、真摯に、被災者支援を向き合ってくれていました。立場をどうすればいいのかという。それを話しするというのは非常に福祉のオタクとしては、本当にいいミーティングを4カ月間毎日休まずやらせていただいたのは、今の人生の中でも私としては非常に大きな得た宝みたいなものが大きいです。
だからこのメンバーの方々は、今でも同士みたいな状態で、たまにボランティアセンターというか社会福祉協議会に訪れてきて、お茶を飲んで帰ったりしています。もしくは私が講演でいろいろなところに、年間だいたい30から40カ所行かせてもらっていますが、その折にNPO の皆さんとお酒を飲んだりということをさせてもらっている。今でも仲間です。
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