東日本大震災の災害ボランティアセンターで奮闘していた、石巻市社会福祉協議会の阿部由紀さん。発災直後から災害ボランティアセンターでは、様々なボランティアを受け入れ、コーディネートしてきました。そうした運営の成果から、石巻市社会福祉協議会は石巻市からの信頼を得て、仮設住宅の支援を一手に引き受けることになりました。
もくじ
2014年4月22日 石巻市社会福祉協議会 阿部由紀Part6
企業からのノウハウ移転によって支援活動が効率化した
その後、そういった活動を通じて、今でいう応急仮設住宅の支援やら、みなし仮設住宅の支援を社会福祉協議会が信頼をこれでもらって一手にやらせていただくような格好になります。
なぜこんなでかいエリアを1個の法人でできるかというような部分はちょっとあります。最初は皆さんもちょっと言ってもなかなか理解してもらえないと思いますが、石巻に7,300世帯の仮設住宅があるのです。これってほかの市町村の5倍以上なのです。
それを1個の法人でやっているのはうちぐらいなのです。なぜできるかというのは、企業から支援をいただいたからできたのです。企業の方々がそのノウハウを教えてくれて、初めてやる事業に対して監査法人という法人があって、そちらの職員の方が我々のほうに手伝ってくれました。
東大やら慶応卒のキャリアの皆さんです。時給は彼ら確か20万ぐらいと言っていましたね、時給ですよ。そのぐらいの人たちが手伝ってくれました。非常にそれはありがたかったです。だから我々が今やっているノウハウというのは彼らから受け継いでいるものがあります。
津波によって大きな被害を受けた石巻
これは私が生まれ育った雄勝というところです。ここには20メーター以上の津波が入って実際ここに800世帯ぐらいあったところが1世帯もなくなりました、ほとんどですね。
生まれ故郷を失ったというのは非常に寂しいものが今でもあります。この間初めて雄勝がなくなった瞬間の津波映像をこの屋上から撮ったものを見せてもらいまして、ああこんなふうになくなっていったのかというのを実感しました。
これは南浜町、もしかしたら知っているかもしれないけど、石巻の日和山から見える風景の最初のころです。今こんな感じで、みんなきれいになっています。
ミーティングが命の災害ボランティアセンター運営
ここは災害ボランティアセンターの5号館前です。こんな形で受け付けが行われて、全国から個人ボランティアや企業のボランティアの方、それからボランティア団体の方々なんかが受け付けをされました。
NGO、NPO の皆さんというのは復興支援協議会というのがあって、そちらのほうで受け付けをしてくださって活動をしてくれました。ですから受け入れ先が違っていて、それがうまく機能したという例だと私は思っています。
これは5号館前です。こんな形で毎朝ミーティングをボランティアの方々がやっている。今、真ん中にいるボランティアセンターというオレンジのビブス着ているやつ、ボランティアで福岡から来たのですが、うちの正規職員になっています。うちの地域福祉コーディネーターとして活躍しています。こういうやつも中にはいます。
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