東日本大震災後の石巻で災害ボランティアセンターを開設した石巻市社会福祉協議会。阿部由紀さんは、担当者として最前線で活躍していました。約4カ月寝る間を惜しんで泊まり込みでボランティアセンターの運営に関わっていました。そんな阿部さんから、次世代を担う若者に対するメッセージが含まれた話がこれから始まります。
もくじ
2014年4月22日 石巻市社会福祉協議会 阿部由紀Part1
次の世代に世の中を託していきたい
みなさんこんにちは。社会福祉協議会の阿部由紀(よしのり)と申します。
みなさんは、あんまり関わったことのない方が多いので、社会福祉協議会って、どんな仕事をしているのかなと思っていることでしょう。
もちろん私は石巻の人間です。ここに石巻と女川と東松島の人ってどのぐらいいるのですか。ちょっと手を挙げてみてください、石巻と東松島と女川の人。結構少ないんですかね、ありがとうございます。
私の息子は石巻商業高校を卒業して、みなさんの中に同じ年の子がいるのかなと思います。もしかしたらこの中に息子と同級生の人がいるのかなと思います。娘も23になりますから、みんなよりちょっと上です。だから私の子供世代のみんなに、親としての年代の私が話をするっていうのは、ある意味ちょっと緊張します。
私は、みなさんに、これから世の中を託していかなければならないと思っています。いずれ私らは現役をあと十何年で卒業しますから、後は皆さんの世代になります。みんなが就職して石巻やこの日本をどう支えるかっていうのが、これからのポイントになってくると思っています。
一人の支援者として石巻の災害復興に向き合う
みなさんがいるこの大学は日本で唯一、災害ボランティアセンターと協定を結んでいます。学生の皆さんには、それをちょっと誇りに思ってほしいのです。なぜかというと、みなさんの多くは、災害ボランティアセンターとして、この大学が使われた後に、入学されたと思うからです。
あの当時の石巻の大学は、ボランティアで来ている人が、はだしで歩いていたり、刺青を彫っていたり、いろいろな人がたくさんいました。そういった意味では、よくこの大学が受け入れてくれたなというのが、一つ大きなことです。
我々は、そういったボランティアの方々と一緒に歩んできました。この中には、たぶん被災された方もいると思います。あの当時は本当に、ある意味不眠不休の状態でした。大学の5号館をお借りしていたので、5号館で寝泊まりをして、朝6時にボランティアセンターを開ける準備をしていました。夜12時までに、ある程度の事務作業を終わらせて寝て、また6時に起きてというのを続けていました。
4カ月ぐらい大学に泊まり込みで働いて、家に帰ったのは12月ぐらいです。私自身は家を失ったわけではなかったので、私みたいなのが頑張らないと、今の石巻はどうなってしまうのだろうという変に背負ったものがありました。だから一人の支援者として、石巻のこの災害に向き合うことを決めていました。
失敗できない災害ボランティアセンターの開設
そういった意味では、皆さんに言ってもなかなか理解はできないかもしれませんが、別な意味で、自分の人生において最大のチャンスが来たと思っていました。
阪神淡路大震災以降、災害ボランティアセンターは社会福祉協議会がやるのだと言われたこともあって、いままで被災地支援を業務の中でやってきて、災害が起きたときに市民がどのようになるのかを学習してきました。災害ボランティアセンターの運営をいろいろな市町村で見てきて、いろいろな反省をして、それでこの震災を迎えたわけです。
だからしくじれなかったのです。しくじれないという点で非常に緊張もしましたが、ある意味それを助けてくれたのがこの大学のキャンパスだったし、それから皆さんも町で見掛けたことがあるボランティアの方々。彼らNPO、NGO、市民活動団体の皆さんが、この石巻もしくは災害ボランティアセンターを支えてくれたというのも事実です。
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