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2013年6月25日 ピースボート災害ボランティアセンター 小林深吾Part7
東日本大震災後、石巻へ派遣されて災害復興活動に従事したピースボートの小林さん。被災地にある唯一の大学で学ぶ学生たちへ、困難ばかりではなく、特別な人と出会えるチャンスもあるとメッセージを投げかけています。さらに、現状の問題を越えて、支援の輪を拡げることも必要だと訴えかけます。
被災地にある大学だからこそ可能性があります
2つ目の質問です。「今、あなたにとって石巻専修大学はどのような場所ですか」。それぞれいろいろあると思います。まじめな答えを考えついた人もいるし、「いや、別にそんな理由、どんな場所って聞かれてもよく分からないし」みたいな人もいるだろうし、それはそれで別にいいと思います。
僕からは、こういうふうに見えています。仙台にもたくさん大学がありますけど、石巻専修大学は、一般的にいえば最大の被災地にある唯一の、一番の被害を受けた場所の唯一の大学です。かつ、災害支援の拠点になった場所です。
それはボランティアが来たということもそうだし、あとは自衛隊のヘリポートがあったとか、4号館に避難所があったとか、ボランティアセンターが開設されたとか、学生の皆さんがそれぞれいろいろなところの手伝いをしたとか、教員の方たちがその場所をどうやって使ってもらうのか考えたとか、という場所でもあります。
それは、例えば、これから学生が集まらなくて大変だという状況もあるかもしれないし、学生の皆さんから見たらちょっと通いづらい所だとか、なかなか家を探すのも大変だとか、いろいろあるかもしれないですけれども、一方で、この場所はすごく可能性があるのではないかと僕は思っています。それは何なのかというと、今回の震災で石巻とか東北がすごく注目されていると思うのです。
そう考えると、そのど真ん中にあるこの大学の学生たちはどんな体験をしたのか、これからまさに復興に向かう学生たちは何を考えているのか、どういうことに興味があるのか、どこに向かっていきたいのか、どんな人と出会ったのか、そういうことにすごく可能性があるかもしれません。
その可能性は、例えばYahooが石巻にベース(注、2021年閉鎖)をつくったとか、結構大きな企業がいろいろ石巻に来ていたり、いろいろな災害支援団体も来ているでしょうし、いろいろな研究をされている方も来ています。そういう意味では、いろいろなスペシャリティーを持った人たちがここの土地に来ている。もしかしたら、面白い人と出会えるかもしれない場所なのだと思います。
被災地から被災地へ、支援の輪の連鎖が起きています
現在、被災してからまだ2年しかたっていないので、現状にある課題をどうするのかというのも大事なのですが、一方で、今回の被災というものをどうとらえて、次にどうつなげていくのかということも、視点としては必要なのかなと思っています。「支援の輪の連鎖」と書いてありますが、「被災地から被災地へ」という言葉があります。
例えば、震災が起きた後、神戸の人たちがたくさん来て、自分たちの体験や経験を基に東北の支援を始めるわけです。具体的にいうと、石巻専修大学の4号館に避難所ができたときに、兵庫県の佐用町の職員さんたちが来ていました。そこは兵庫のすごく小さな町なのですが、水害に遭っている土地なのです。その当時自分たちが助けてもらったから、そのお返しをしなければいけないということでたくさん来ました。
このスリランカのチームは、1週間だけいると決めていたのが、「やることがまだいっぱいあるから、もう1週間いる」ということで、ずっとこの専修大学を拠点にして活動していました。ただ、彼らも人間なので、「ああ、今日はしんどいな」というのをテントの中でコソコソしゃべっていたりもしました。
ほかには、例えば、石巻の萬代好伸さんという方がいます。彼も発生してからボランティアのお手伝いでバスの運転をしてくれたり、重機のオペレーターをしてくれたりしていました。今度はニューヨークでハリケーンのサンディというのが起こって、大きな水害がありました。そこの水害に対して萬代さんがぜひ行きたいということで、自分から志願して行ってもらいました。
「困ったときはお互いさまね」ということで。ニューヨークの人から見ても、津波の石巻の映像とか報道がすごくされていたので、「石巻から来たの? あなた」という感じで、すごくびっくりされながら。ただ、どうにか自分の思いをそこに伝えたいということで、ニューヨークにかかわっていました。
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