6.「共助」の災害ボランティア(2013年 ピースボート災害ボランティアセンター)

ピースボート災害ボランティアセンター

2013年6月25日 ピースボート災害ボランティアセンター 小林深吾Part6

東日本大震災後、石巻へ派遣され災害復興活動に従事したピースボートの小林さん。東日本大震災で最も多くのボランティアが、石巻を目指して集まったのは、安全に寝泊まりできる環境があったからだそうです。なぜそんなに多くのボランティアを必要としたのか。小林さんは「自助・共助・公助」の観点から説明をしてくれました。

「自助・共助・公助」と災害支援

自助・共助・公助

災害支援活動は、ピースボート以外にもたくさんの団体があるので、多くのボランティアの人たちが社会福祉協議会を通して来たり、ほかの団体を通して来たりしていました。多分、石巻が一番多くのボランティアを受け入れた自治体ではないかと思います。

そういう意味では、この専修大学があったことはすごく大きな意味があります。ここの場所で、津波とか二次被害がないような環境の中で、寝泊まりができたというのは、ボランティアが活動をする上では、大きな要素だったと思います。なので、ボランティアに行きたいと思った人たちがここを目指して来た。それによって活動ができて、またより多くのボランティアが集まってきたという構造だったのかなと思っています。

では、なぜそんなに多くのボランティアが必要だったのかという話です。災害支援をやっていると、「自助・共助・公助」という言葉をよく聞きます。「自助」は何なのかというと、自分で自分のことをちゃんと守る。もしくは自分の家族を守る。東北のほうでよく言われているのは、例えば「命てんでんこ」。

それぞれの命は、それぞれでちゃんと守りましょう。津波があるとき、地震があったときは、自分がまず助かるように高台に逃げましょう、ということがあります。あとは備えとして、自分たちが困らないように備蓄のものを準備しておきましょうという、自分で自分のことを守るのが自助です。

「公助」というのが、市役所とか行政の人たち、もしくは警察とか消防とかがやってくれる公の援助です。災害支援の現場だと、基本的に市役所、その市町の行政の人たちが被災した人たちのサポートをしていくのが大前提なのですが、その人たちが今回被災してしまったという状況がありました。

警察や消防、自衛隊にしても、彼らは彼らなりに動く基準、法律の基準があるわけです。警察であれば、道路を封鎖して緊急車両を通せるようにしましょうとか。消防であれば、まず火災現場に行って消火をしましょう、もしくは避難誘導をしましょうとか、そういう決まりがあります。自衛隊も同じように決まりがあります。

お互いに助け合うためにボランティアが必要でした

その自助とか公助だけでは収まらないもの、それだけでは足りないものがどうしても出てきてしまうので、お互い助け合う「共助」がすごく大事になってくるのかなと思います。具体的に言うと、今回ボランティアの人たちがたくさん活躍したのが「泥だし」だと言われています。ボランティアといったら「泥だし」とか「泥かき」みたいなイメージがついていると思います。

なぜそうなったかというと、公の場所をきれいにする、道路をきれいにするのは行政とか自衛隊がやるのですが、一方で、自分の家をきれいにするのは自分でやらなければいけない。それは誰かが手伝ってくれるわけではありません。

じゃあ、おじいちゃん、おばあちゃんが、あれだけ津波をかぶった家をきれいにできるのかというと、なかなか難しかったりします。そこでボランティアの人たちが、自助とか公助だけではカバーしきれない、担い手がいないところを手伝っというところで、たくさんのボランティアが必要だったのかなと思います。

世界から受けたたくさんの支援をどう返せばいいのだろう

日本人のボランティア以外にも、いろんな国の人たちが来ました。外務省の調べでは、「23の国と地域から来た」と言っていますが、多分実際はもっともっと多いです。石巻でいうと、外務省の調べではロシア・トルコ・インドネシア・南アフリカ・スリランカの人が来たといわれています。ただ、これ以外にもボランティア以外のかたちで、台湾の人が義援金をくれたとか、いろいろなかたちで、いろいろな国からサポートがありました。

日本はいろんなところに支援をしていると、皆さん思っていますよね。アフリカの国にODAを払って、もしくは青年海外協力隊という人たちが行って、いろいろな支援を海外でやっていると皆さんは思っていると思います。いま現在でいうと、日本は第5番目の援助大国、支援する側の大国だったわけです。

一方で、震災が起こった後、2011年は、日本は世界で一番の被援助国、支援を受けた国といわれています。その額は10億円とか1,000億円以上といわれています。正確な数字が分からないのは、いろいろなかたち、例えばカタールの人が大きな金額を寄付してくれたとか、レディ・ガガが寄付してくれたとか、いろいろなかたちの寄付があるので、正確な数字は分かりません。

ただ、日本は2011年、アフリカの国々よりも一番支援を受けた国なのです。2,000億円ってすごいお金ですよね。東ティモールという小さな国があるのですが、多分その国の1年間の国家予算ぐらいの金額です。

僕が考えなければいけないと思っているのは、今まで支援するばかりだった日本という国が、今度は支援をたくさん受け取ったことです。その支援をしてくれた国というのも、外務省の調べ以外にもたくさんあります。実は、アフリカの国も、アジアの国も、中南米の国も、そもそも日本よりも豊かではないといわれている国からもたくさんの支援があったわけです。それをどうやって返していったらいいのかということを考えなければいけないのかなと思っています

やっさん

東日本大震災の仮設住宅支援、復興起業家育成に関わってきました。大学では、震災復興を考える講座やワークショップを実施しています。ここでは、復興ボランティア学講座の記録をまてめて、公開しています。

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やっさん

東日本大震災の仮設住宅支援や復興起業家育成に10年間携わってきました。現在は震災復興に関する講座やワークショップを実施しています。ここでは、復興ボランティア学講座の記録をまとめて公開しています。

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