もくじ
2013年4月23日 みらいサポート石巻 中川政治 Part16
かつて阪神淡路大震災で何かをしたかったけれど、何もできなかったという中川さん。東日本大震災では、すぐに動き出しました。ボランティアは、災害を自分ごととして考え、自分が「何とかしなきゃ」と考えたときから始まるのです。
何かしたかったけど、動けなかったんです
東日本大震災発生し、NPOの皆さんとか多くの人が、ボランティアをしなきゃって石巻に来てくれました。石巻専修大学さんも、そのためなら校舎も使わせてあげよう、キャンパスも使わせてあげようっていうことで、いろんな動きが生まれました。
でも、なかには、何かしたかったけど何もできなかったという人もいると思います。これ実は私のことです。私京都の人間なんですけれども、阪神淡路大震災のときに学生でした。ちなみに何もしてないです。本当に同級生とかも被災してたんです。なのに何もできなかったし何もしなかった。今でもすごい反省なんです。
この教室の中にも何にもできなかったていう人がいらっしゃると思うんです。別にそれは悪いことではないと思うんです。いろんな生き方があるので、そのとき大事なものってあると思うんです。けれども、やはり僕の中ではいつも引っかかっていました。
自分で何とかしたいという人たちが支えた支援
前のスライドを見て、この町大丈夫かなと思った人もいるでしょう。右肩下がりで売り上げも半分、店の数も半分になっててどうしようかと。あと人口もすごい減ってます。こういうとき、行政が悪い、市長が悪いとかよく言います。あるいは学生のみなさんは、あの先生が悪いとか、この学校が悪いから駄目なんだとか言っているかもしれません。
そういうのに乗って、私にはあれは関係ないよっていうのは簡単ですけど、みんなが言っていたら、誰もボランティア来てなかったです。やっぱり「自分が何とかしなきゃ」って思った人たちがたくさんいたから、自分が何とかしなきゃっていう人がいなかったら、石巻市で28万人ものボランティアは動いていないです。
そういう人たちがやっぱり支えてきた。そういう人たちが泥をかいたり、炊き出しをしたりしてきた。だからいま、みなさんは普通に学生生活を送れていたり、普通の市民生活できるっていうことがあるんです。こういった人たちがいたから、今の石巻があると思っています。
また多くの石巻の人たちも動き出しました。それは本当にお世話になったから、俺たちもやんなきゃねって。自治会長さんとかもそうですし、町中の人たちの動きもそうです。あるいは商店さんとかも、震災ですごいダメージだと思うんです。
学生のときだったら、ちょっと勉強できなくなったとか、部活がちょっと止まった程度ですが、企業だったら本当に会社がつぶれるかもしれない。20人雇ってる人たちを全部クビにしたなんてこともあったかもしれない。そういうなかで、で何とかしなきゃって再建へ向けて動いている。やっぱりこういう何とかしなきゃっていう気持ちが、ボランティアのスタートなのかなと思います。
コメント