13.震災から2年半、自立のステージへ

みらいサポート石巻

2013年4月23日 みらいサポート石巻 中川政治 Part13

東日本大震災から2年半を経過して、避難所から仮設住宅への移転も終わり、被災地で求められるニーズは大きく変化しました。石巻災害復興支援協議会でも、自立のステージに向けて、依存心を助長するような支援はやめることを決めました。

仮設住宅の支援をどうするのか

これまでの活動を紹介しましたが、今後の求められる活動の話をします。さっきの説明の続きなんですけれども、仮設サロン連絡会を設置してます。これまで仮設の支援に入るのはいいけど、どうしようかという話をしていました。2011年の11月ぐらいにみんなで話し合って、「仮設住宅って、もうモノをバンバン持って行くところじゃないよね」と決めました。

あとは2012年の12月ですけれども、このような形で仮設サロン支援連絡会参加団体10数団体でいろんな話し合って、仮設の支援ってどうやるべきだろうっていうのを話し合って、震災後2年を経て支援は自立のステージに入って、依存心を助長しないように、単なる炊き出しっていうのはやめようと決めました。

例えば交流会とか料理教室だったらいいんじゃないのとか、そういう提案をできるような紙を合同で作ったりして、いい支援ってなんだろうねっていうのをいろいろ考えてきていました。例えば集会場を使いっ放し、戸締まりもしない、あるいは散らかったままとか。告知の貼紙をそのままとか。うち何々しますよって書くのは簡単だけど、はがしていかないとか。そんなのは、やはり住民さんの負担になるからやめよう、みたいなことを話したりしています。

地域住民のできな部分を手助けする

あとこちらです。あとは今後必要な支援ということで、地域に根差したサポート、ニーズの変化に対応したサポートっていうのがいるのかなと思ういます。これは先ほどの大宮神社さんです。復興マインドで手伝ってたところです。これ見ると「来石、災害支援の皆さんありがとうございます。私達には返す物はありません。もし返せる物あればこの言葉だけです。ありがとう」と書いてあります。

いま本当に支援が届いたとしても、何これみたいなことをいう被災者の人たちがいたりします。やっぱり支援をして、あるいは活動とか支援とかという言葉がふさわしいかどうか分からないけど、一緒に活動してる中で、こちらからいいことをやっていくことです。受け手側から本当にありがたいと思ってもらえる活動をができたから、このような看板を作ってくれたと思うんです。

こちら震災1年目の5月ぐらいなんですけれども、普通なかなか被災者の写真っていうのは撮りかったんです。でもここは違っていて、この2人はボランティアで、この2人は牡鹿の住民さんなんですけど、僕がカメラ持って歩いてたら、ちょっとあなた写真撮ってっていうふうに声をかけてきたんです。

普通みんな支援に入ったら写真を撮らないでくださいねとかいって、レクチャーを受けてたりするんですけれども、ここはボランティアさんと握手できたり、話せるのがうれしくて、そこを是非撮ってくれっていわれました。やっぱりそういう信頼関係がしっかりあるから、こう写真を撮ることができたのだと思います。

あるいはニーズ面からのサポートですけども、仮設住宅スポーツ大会があります。仮設の住民さん自身がスポーツ大会をやっています。僕らが、何かこういうイベントをしましょうよとか、次はカラオケ大会しましょう、次はお茶会しましょうよってやっていくのは簡単です。けれど、私たちいなくなったらと考えると、残った住民さん自身が、自分たちでやらなきゃいけない。

そうやって自分たちでやろうぜっていうことで、自分たちで企画したことを、僕たちは見に行くだけ、こういう活動がどんどん増えていくといいなというふうに思います。

やっさん

東日本大震災の仮設住宅支援、復興起業家育成に関わってきました。大学では、震災復興を考える講座やワークショップを実施しています。ここでは、復興ボランティア学講座の記録をまてめて、公開しています。

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やっさん

東日本大震災の仮設住宅支援や復興起業家育成に10年間携わってきました。現在は震災復興に関する講座やワークショップを実施しています。ここでは、復興ボランティア学講座の記録をまとめて公開しています。

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