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2013年5月28日 ISHINOMAKI2.0 松村豪太 Part7
東日本大震災で被災した石巻を面白い街に変えるため、ISHINOMAKI2.0の活動を始めた松村さん。新しいことに次々と取り組むなかで、復興に足りないことがいろいろと見えてきました。そのような状況でもなかったら創ればいいという考えて、「IRORI]を作ったり、「石巻工房」を設立など、面白いものを次々とつくりだしていきました。
キーワードは「手作り」です
基本的にわれわれがやっていることはDo it Yourself、「手作り」というとこことが大事なキーワードでもあります。それを象徴するのが「石巻工房」という、木を使った家具です。東京の六本木ヒルズやミッドタウンに入っているような世界的なIT企業が、石巻工房の家具を一式発注してくださったりしています。デザインはとてもいいのですが、作っているのは素人です。仲間にたくさんデザイナーがいるものですから、そういう人たちでも特に若手が協力してくれています。
実は日本のデザイン業界というのもなかなか厳しいのです。いい大学、いい美大をいい成績で出ても、だいたい大きなデザインの工房だったり、企業に就職しても、最初の10年間は奴隷のように使われて、好きなことは一切できないというのが一般的です。もちろん給料はいい額をもらえます。
そんな環境なので、自分が本当にやりたいデザインのアイデアを出せる場所を求めている人間はたくさんいます。そういう方とつながって、そういう方たちの発表の場でもあるのがこの石巻工房です。作っているのは、石巻の街中のすし屋さん。真ん中に丸い顔をした、とてもすてきな笑顔を出している方がいますけれども、千葉さんです。
単純な発想から生まれた「石巻工房」
石巻工房というのは、これも本当にばかみたいに単純な発想から生まれました。石巻は、テレビなんかでも「復興が遅い、遅い」と言われていました。一番の理由は、大工さんがいなかったのです。「ドアを直してくれ」「お風呂を直してくれ」と頼んでも、半年待ちとかざらでした。
そこで、この石巻工房のアイデアの生みの親である芦沢啓治という建築デザイナーが言いだしました。僕らは彼を「残念な天才」と呼んでいるのですが、いろいろなものをポロポロ落としながら、奥さんと離婚の危機を何回も乗り越えながら、生きているような人間です。彼が、本当にばかみたいな発想で言ったのです。「大工さんがいないなら、町の人がみんな大工さんになれば復興が早いんじゃないの?」と。
これもデザインだと思います。つまり町に大工道具を置く。みんなが利用できる工房を作って、そこにインパクトドライバー、電気ドリルとか、金づちとか、のこぎり台とか、そういうものを置いて、その使い方を教えられる人「工房マスター」を配置すれば、そこでみんなが大工のスキルを覚えられる。簡単なドアの取り付けなんかはみんなができるようになる。そうすると町の復興は早いと言ったのです。
そこからスタートしています。実際、市民工房としての側面も石巻工房はもちろん残しています。町の奥さんや子供たちを呼んでいろいろなデザインワークショップをしたり、いろいろなところに石巻の人を伝いながらお手伝いに行ったりもしています。
人が集まることを財産と考えています
これはわれわれの拠点です、石巻の中央2丁目。アイトピア通りと立町の角にあります。オープンシェアオフィス、簡単に言えばコワーキングスペース、「IRORI」といいます。このように、もともとガレージだった空間を半分だけお借りして手作りで、こうやって外国人のボランティアの力も借りながら改修しました。。この場所も、津波は天井まであと30~40センチというところまで来ています。
コワーキングスペースって分かりますか。誰でも使えるオフィスです。東京とかだと、1カ月の会費で5万円とか払って会員だけが使えるのですが、この「IRORI」という場所は無料です。われわれはお金も欲しいですけど、それ以上にこの場所に人が集まってほしい。人が集まることを財産と考えて運営しています。こういうふうに、ちょっとおしゃれに充電とかインターネットの利用をしてもらえる場所を作りました。毎日20名ぐらいの方に利用してもらっています。
普通に仕事をしてもらってもいいのですが、さまざまな自主イベントを行ったり。これは中東の皆さんとのトークセッションですね。アラブの春、体制に対する革命をしている方たちと「リーダー像」というテーマでセッションを設けました。あるいは、石巻出身の方にこういう音楽イベントをしてもらったり。基本的に楽しみながらやっています。
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