もくじ
にじいろクレヨン 柴田滋紀 Part4-2
津波の街だった石巻で、子供たちの遊び場づくりを始めた「にじいろクレヨン」。 仮設住宅から復興住宅へ移り住んだ子どもたち。新しい住宅街の近くの公園には子どもの姿が見えません。にじいろクレヨンはどうやって子どもたちとの関係をつなぎ直したのでしょうか。
動画は2020年6月30日「復興ボランティア学」、にじいろクレヨンの代表・柴田滋紀さんのお話です。2020年はオンライン開講だったので、授業内容を4本の動画で提供していただきました。今回は3番目の動画を3分割したものの2本目になります。
移転先の復興公営住宅で、どうやって子供たちとの関係をつなぎ直したのでしょうか
復興公営住宅の公園での活動も、はじまりはゴミ拾いからでした。公園へいってもまず誰もいない。住んではいるけれども、外に出ていない状況がありました。チラシも作って配布したりもしましたけれども、まずは毎週一回、3時から5時までと決めて、毎回行くということから決めました。公園へ行ってゴミ拾いをしていると、そこには仮設住宅に住んでた子たちが、引っ越してたことは知っていたので、続けていればそのうち顔合わせるだろうと思っていました。そうすると毎週「にじいろ」が来てるんだとなりまして、子供たちも集まってきました。
最初はもう本当にただ鬼ごっこしたりとか、縄跳びしたりとか、ベーゴマしたりとか外遊びが中心でした。だんだん復興公営住宅の集会所をお借りして、室内でも遊べるようになってからは、内と外両方使って遊ぶようになりましたね。その時に、冬場なんかお茶セットを持って、ポットにお湯を入れて外に行って、散歩してるおばさん方とかいらっしゃるんで、そういう人達たちにお茶を出したりとかしながら、世間話したりしつつ子供を見守るということを続けてきました。
後は仕掛けとしてやってたのは、子ども食堂というか、地域食堂みたいなものをやりました。地域の人と月に1回、日曜日にお昼ご飯をみんなで一緒に作って、たとえばおにぎりを、みんなで握って、味噌汁をみんなで作って、お昼を食べながら、のど自慢を見るみたいなことをやったり、楽天の試合があればテレビでみんなでそれを見てたりとかしました。なんかもう昔の、昭和とかの頃の大家族が日曜日に過ごしてる感じを、疑似体験というかみんながその大家族の一員みたいな感じでしたね。
子供もいるし、おじいさん、おばあさんもいる、もちろんみんなばらばらで血はつながっていないんですけれども、集まって来る人たちがみんなでお昼食べたりとしかして、まったりと過ごす。そんな時はだいたい10時ぐらいから集まって、場合によっては子供たちとスーパーまで行って、おにぎりを買ったりとか、のりを買ったりとかして、みんなでお昼作って、食べて、なんかこうダラダラ過ごすことをやったりしましたね。
コメント