3.自分にしかできない支援を見つけて動く

日本カーシェアリング協会

東日本大震災の被害を受けた石巻で、カーシェアリングの活動を始めた関西出身の吉澤さん。はじめに手がけたのは福島の子供を助ける「赤ちゃん引っ越しプロジェクト」でした。つぎに避難所で「みんなの台所プロジェクト」を実施するなど、自分しかできないことを見つけては、次々と支援活動を展開していきました。

2013年7月30日 日本カーシェアリング協会 吉澤武彦Part3

赤ちゃん引っ越しプロジェクト

僕は「赤ちゃん引っ越しプロジェクト」っていう名前を付けて、最終的には車5台で福島へいきました。そのうち1台はバスもチャーターして、それにたらふく物資を詰めて、「いわき」に向かったんです。

この時の僕のやり方の特徴の一つとして、ちょうどそういう集会の中で、隣に座っていた保育所で働いているカニちゃんって女の子がいて、やっぱり福島の子どもがすごく気になるって言っていたので、「じゃあ君、やろう!」って言って、彼女が代表になって、僕は副代表になって、その取り組みを展開していきました。

これ、数少ない当時の写真。もうほんとにカッパ着て、マスク着て。地元の人はマスク無しで、どんどん活動してはったんですけど。僕にとってはもう命がけです。いわきに入ったのが19日。東日本大震災災害から、ちょうど1週間とか、そこらぐらいの時です。

それで、ちっちゃい子のいてるご家族とか、妊婦さんとかを何組か連れて帰って。もうその時には、その取り組みを一緒にやりたいっていう人たちがいっぱい現れたんです

だから僕はもう、その人達に任せて、避難所とか入っていた時にいろいろ気になったところがあって、どんどん仕事を自分で見つけていました。ですので僕はそのプロジェクトから外れて、一人でいろんなことを福島で一カ月間やっていったんです。

みんなの台所プロジェクト

これ、炊き出しです。カレーうどんを作っているんです。僕、運転もできないんですけども、料理もできないだめな男なんです。味噌汁と焼きそばぐらいしか作れないんです

でも、その2~3年くらい前のイベントのときに、みんなでカレーうどん作ったのを覚えていて。だいたいの作り方のイメージはあったので、関西で大量のうどんとカレー粉と肉と野菜と買って、それから運転手の友達と2人で、鍋を車に積めるだけ買って行きました。

最初訪問した避難所はもちろん、他のいわきの避難所も回って、「すみませーん!」とか言いながら、突然登場して、「カレーうどんの具材買ってきたんですけど、僕一回しか作ったことないので、作り方よくわからないから、みなさん一緒に作ってくれませんかー!」とか言いながら避難所に入っていくんです。

ほんなら、最初シーンとなるんですけど、おばさんが1人、2人と立ち上がって来てくれました。トントントンって野菜を切る音をさせながら、「ああ、野菜切るの久しぶりやわー」とか言いながらやっていくうちに、自然にいろいろな人が来ました。カレーうどんだけじゃなくて、醤油とかで、オリジナルの出汁のうどんとかも作ったりとかしていくんです。僕はそれを見ていただけ。

「この道具置いていきますので、みなさん、何か野菜とか届いたら、あとは自分らでやってくださいねー!」とか言いながら、僕らは途中で去っていくんです。そうやって炊き出しセットを避難所に設置していって僕らは自分らで、炊き出しはやらずに環境だけ作っていく「みんなの台所プロジェクト」をやりました。

この炊き出しのプロジェクトは、最初現地を案内してくれたNPOが、同じような名前で展開してくれました。

やっさん

東日本大震災の仮設住宅支援、復興起業家育成に関わってきました。大学では、震災復興を考える講座やワークショップを実施しています。ここでは、復興ボランティア学講座の記録をまてめて、公開しています。

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やっさん

東日本大震災の仮設住宅支援や復興起業家育成に10年間携わってきました。現在は震災復興に関する講座やワークショップを実施しています。ここでは、復興ボランティア学講座の記録をまとめて公開しています。

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