4.カタチになったら支援を引き継ぐ

日本カーシェアリング協会

東日本大震災後の石巻でカーシェアリングの活動を始めた関西出身の吉澤さん。震災後の1カ月間は福島で支援活動をしていました。わずかの期間で、次々とプロジェクトを立ち上げ、現地の人や若者たちに渡しながら、被災者の自立的な活動のきっかけ作りをしていました。

2013年7月30日 日本カーシェアリング協会 吉澤武彦Part4

福島の農家の声に応えたい

福島の野菜に放射能が検出されたニュースを、僕はヨドバシ梅田のサンマルクでチョコクロを食べながら、パソコンでインターネットしていた時に知りました。「ああ、やっぱり出たか~」というふうに思ったんです。その時に農家の人々が、愕然とする様子が、目に見えたんです。

だから何ができるかわからないけど、とりあえず行ってみようと思って、「福島の農家さん、誰か知り合いいませんか?」って発信しながら、現場に行って、現状を確認していきました。

ほんとに意気消沈されていました。「米蔵の米も、これ去年作ったやついっぱい残っているけど、売れないんやろうなー」って、ぽそっと言ったのを、「いや、震災の前の年に作った米蔵の米やったら、買ってくれる人いるかもしれませんよ」って言って。根本的な解決にはなりませんけど、全国からの応援の気持ちのこもった経済の流れをちょっとでも感じてもらって、やる気を出してもらう「メイドイン・福島」っていう取り組みをやりました。

これで福島の米蔵の米をドンドン売っていきました。そのお金で、震災で仕事を無くした地元の若い兄ちゃんにホームページ作ってもらって更に販売していきました。これは、タミちゃんっていう会津の女の子に、全部事業を渡していきました。

石巻の「ローラー隊」活動を福島へ導入しまし

石巻に初めて入ったのは、3月29日やったかな。僕は基本的に福島で動いていたんですけど、その日の朝から夕方までの半日だけ石巻に滞在しました。僕が石巻に立ち寄った目的は明快で、成功事例をゲットしようと思ったんです。

石巻ではいろんなボランティアが集まって、いろんな取り組みがなされているっていうふうな情報は聞いていましたので。そこに行って主体性さえあれば、いろんな活動が経験できたんです。だから、泥出しやって、畳を運んだりして、いろいろやっていく中で、ローラー隊っていうのがありました。足を使って状況を確認していく地道な現地調査です。

ああ、これは福島にも必要だなと思って、福島に戻って何度も通ううちに、いわきで仲良くなった金造っていう若い衆に提案しました。「ちょっと金造、いわきでもこういうのをやらへんか?どっからやる?」とか言って。「じゃあ僕、このへんからやりたいです」って彼に決めてもらって。「いわきローラー隊」って名前を付けて、この金造君を中心にローラー調査を進めていきました。

やっさん

東日本大震災の仮設住宅支援、復興起業家育成に関わってきました。大学では、震災復興を考える講座やワークショップを実施しています。ここでは、復興ボランティア学講座の記録をまてめて、公開しています。

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やっさん

東日本大震災の仮設住宅支援や復興起業家育成に10年間携わってきました。現在は震災復興に関する講座やワークショップを実施しています。ここでは、復興ボランティア学講座の記録をまとめて公開しています。

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