東日本大震災の石巻、「問いかけ」が支援物資を動かした─め組JAPANの記録

復興支援活動の記録

Volunteerカテゴリ(2013年/河野心太郎)

必要とされているのに届かない支援物資

東日本大震災の直後、石巻には全国から膨大な支援が流れ込んでいました。物資も、人手も、善意もそろっている。それでも、現場には「届かない支援」が数多く残っていました。あふれる善意が、困っている人のもとに届かない。この原因は、物資の量やオペレーションの問題ではなかったのです。

震災からわずか11日後営業職として働きながら「何をしたいのか分からない」と迷い続けていた青年が、石巻へやってきました。河野心太郎さんは特別なスキルを持っていたわけではありません。しかし、NPO法人MAKE THE HEAVEN代表で、め組JAPANの創設者、てんつくマンの言葉「思うだけではなく動くこと」に背中を押され、まだ混乱している石巻へと飛び込んだのです。

現地で見たのは、3つのテントが並べられた即席の拠点と、全国から集まった「素人」たちの姿でした。経験も技術もない。しかし、全員が「誰かのために動きたい」という強い衝動に突き動かされていました。河野さんはその空気に触れ、自分にできることを探し始めます。

最初の担当は物資庫でした。そこは、ただ段ボールが山積みにされた空間で、何がどこにあるのか誰にもわからない状態でした。物資はあるのに、必要な人に届かない。それが現場を混乱させる大きな要因になっていました。どうすれば、この支援物資が動き始めるのか。河野さんは現場でその答えを探し続けていました。

東日本大震災の石巻で垣間見たボランティアの真価

想像力によって動き始めた支援物資

物資庫担当になった河野さんの仕事は、山のように積み上がった段ボールとの格闘から始まりました。必要な物資は十分あるのに、それがどこにあるのか誰も把握していない。調査チームが戻ってきても「必要なものが、どこにあるのかわからない」と足が止まってしまう。河野さんたちは5人ほどのチームで、一箱ずつ開封し、分類し、量を確認する地道な作業を続けました。この作業が進むと、現場全体がようやく動き始めました。

しかし、物資が把握できても、被災者へ十分に届けられない場面が続きました。河野さんは「絶対必要な所があるのに、何ではけないんだろう」と悩んでいました。そこで、物資を届けるチームや調査するチームと、夜な夜なひざ詰めで話し合った結果、わかったことは「聞き方」でした。

被災者は過酷な状況のなかで、遠慮の気持ちが強くなりがちです。物資を届けるチームや調査チームは、「何か困っていることはありませんか?とか、何か必要なものはありませんか?」という聞き方をしていました。この聞き方では、被災者側が「とりあえず食べているので大丈夫です」と答えたり、「何があるのかもわからない状態で、何が必要かというのも言いづらい」ために、必要なものが届かないことがわかりました。

「何が必要ですか?」と聞かれても「大丈夫です」と答えてしまう。河野さんは、その壁を乗り越えるために「想像力」を働かせることにしました。たとえば、「カップラーメンがあるなら、水は必要。お湯が必要。ガスもいる。箸も鍋もいる」。こうした具体的なイメージを調査チームと共有し、「これが必要ではありませんか」と提案する形式に変えたのです。

問いかけが変わると、返ってくる言葉も変わりました。必要なものが見える。声が届く。行動が始まる。支援が動き始めた瞬間は、想像力から生まれた問いの変換にあったのです。

「日本一」の卒業式が示した“共に生きる支援”

石巻に3000人が避難していた大きな避難所がありました。湊小学校です。津波で校舎の二階まで水が上がり、土手には車が突き刺さったままでした。震災のあった3月は、本来なら卒業式が開かれるはずの時期です。しかし、被災者であふれ、津波で荒れた校舎では、とうてい実施できない状況でした。

「何とか卒業式をできるようにしたい」。その声に、ボランティアたちが動きました。「日本一の卒業式をやろう」と決め、壊れた図工室を人力で片付けて会場を整えました。水没していた校長室の金庫から取り出した卒業証書は、奇跡的に一枚も濡れていませんでした。

卒業式当日、避難所にいた全員で花道をつくり、拍手で小学校を卒業する子どもたちを送り出しました。支援という行為が、単なる物資提供ではなく、「共に生きよう」とする関係そのものだということが、この場にはっきりと表れていました。

“怖れ”を“希望”に変えたひまわり

石巻市の沿岸部にあった南浜町は、2000棟を超える住宅が津波で流され、住んではいけない地域になっていました。住民にとっては喪失と痛みの記憶が刻まれた場所です。この無人となった荒れた土地に、め組JAPANは、ひまわりを植える活動を始めました。いまは住めなくなったけれど「そこのお家の方に許可をいただいて」、瓦礫を取り除き、土を耕し、種をまく。もう一度、その土地で、古きよき記憶を取り戻すことを願い、作業を続けました。

翌年の写真展では、多くの元住民が、南浜で育ったひまわりの姿を見に来ました。そこで奇跡のような出来事が起こります。「生きていたの?」。22ヵ月ぶりの再会が、その場で次々と生まれたのです。ひまわりは土地を癒すだけでなく、分断された人々の関係をつなぎ直しました。支援とは、記憶を編み直す行為であることが、この活動から浮かび上がります。

東日本大震災の石巻が示した支援を動かす3つの構造

被災者へ支援が届かない理由は、物資の不足ではありませんでした。河野心太郎さんの記録から浮かび上がるのは、「聞き方」「意味づけ」「喜び」という、支援を動かす3つの構造です。どれも制度ではなく、人の感情と関係を扱う領域です。ここにこそ、石巻の現場が他地域に示せる普遍的な示唆があります。

想像力が支援を動かす条件になる

物資庫の混乱は、ただ「片づいていない」という問題ではありませんでした。必要な物がどこにあるのか分からず、支援の流れそのものが止まってしまう状態だったのです。段ボールを一つずつ開けて中身を確かめる作業は地味ですが、そのおかげで「何がどれだけあるのか」が分かり、チーム全体で情報を共有できるようになりました。そこから、支援の動きがなめらかに変わっていきました。

もうひとつ大切だったのが、被災した人への「問いかけ」の工夫です。「何が必要ですか?」と聞いても、答えられない人が多くいました。遠慮してしまったり、混乱で頭が回らなかったりするからです。
そこで河野さんたちは、物資庫にある物を見ながら、その人の生活を想像して聞く方法に変えました。「お湯があれば体を拭けますよ」「タオルがあればもっと楽になりますよ」そんなふうに、相手の生活を思い浮かべながら提案を添えるのです。
この「想像して寄りそう聞き方」が、被災した人の気持ちをほぐし、本当に必要なものを言葉にしてもらうきっかけになりました。

意味づけが行動の連鎖を生む

湊小学校の卒業式は、モノによる支援ではありません。「意味を支える支援」でした。壊れた図工室を片づけ、卒業証書を探し出し、みんなで花道を作る。そんな作業は、特別な技術があったからできたわけではありません。そこにいた人たちが「子どもたちの門出を大切にしたい」という気持ちを共有していたからこそ、自然に動き出した行動でした。
その場で生まれたのは、「この子たちの未来を一緒に見守りたい」という共通の思いです。思いがあったからこそ、避難所で生活していたたくさんの人たちが、参加してくれたのです。支援は、物をあげることだけでは成り立ちません。人がそこに「意味」や「思い」を見つけたとき、はじめて協力が広がり、つながりが生まれていきます。

喜びが支援の循環をつくる

南浜ひまわりプロジェクトでは、被災した住民が感じていた「怖い」という気持ちを、少しずつ「希望」に変えていきました。ひまわりを植える作業は、とても小さな一歩に見えます。でも、たくさんの花が咲いた景色は、大きな「もう一度やり直せる」というサインになったことでしょう。

そして、ひまわりの写真展をきっかけに、南浜に住んでいた住民どうしが22ヵ月ぶりに再会しました。その瞬間にあったのは、「生きていて良かった」という強い喜びでした。こうした喜びは、人が次の行動へ進もうとする力になります。め組JAPANの活動は、支援が長く続くためには、“喜びを中心に置くこと”がどれほど大切かを示していました。

支援を動かすために必要な三つの視点

相手の状況を“具体的に想像する”

質問の仕方を少し変えるだけで、支援の流れは大きく変わります。なぜなら、その土台に「相手の状況を想像する力」があるからです。現場で何が起きているのか。相手がどんな気持ちでいるのか。そこをしっかり思い浮かべると、自然と問いかけ方も変わっていきます。

「何が必要ですか?」と聞くよりも、「今の状況なら、これがあると少し楽になりますか?」と聞くほうが、相手は答えやすくなります。この小さな違いが、地域の支援でも大きな差を生むことがあります。想像することは、相手を大事にする姿勢そのものです。そして、その想像が、行動を生み出す最初の一歩になります。

小さな行動に“意味”を与える

避難所になっていたにもかかわらず、卒業式がみんなにとって大切な時間になったのは、「子どもたちの未来を祝う儀式」という意味があったからです。これは地域の活動も同じで、どんな小さな行動でも価値が生まれるのは、その裏に「こうしたい」「こうあってほしい」という思いがあるからです。たとえば掃除やイベント、学びの場でも、「何のためにやるのか」がみんなで共有されると、自然と気持ちがひとつになります。意味は、行動と人をつないでくれる大事な力です。

喜びを中心に置く

ボランティアの人たちの笑顔や、ひまわり写真展での再会は、支援を「やらなきゃいけないこと」ではなく、「やってよかったと思えること」に変えてくれました。地域づくりでも同じで、そこに“喜び”がないと長く続きません。「楽しいから続けられる」「関わると元気になれる」。こうした前向きな気持ちをつくることこそ、支え合いが続いていく土台になります。め組JAPANの現場は、「喜びを大切にすること」が、支援を続ける力になることを教えてくれました。

支援を「特別な行為」から「日常の習慣」へ

聞く力を地域の“共通のことば”にする

災害のときだけでなく、子育ての悩みや、ひとりで抱え込んでしまう問題、高齢化による困りごとも、地域にはたくさんあります。しかし、「何か必要ですか?」と聞くだけでは、本当の気持ちが出てこないことが多いのです。これはふだんの生活でも同じです。だからこそ、「相手の状況を想像しながら聞く」ことを、地域みんなが使える「共通のことば」にしていくことが大切です。支援は、どんな問いを投げかけるかで大きく変わります。

小さな行動を積み重ねる文化を育てる

め組JAPANの基本は、「まず、自分にできる小さなことをやる」という姿勢でした。この考え方こそ、地域にとっていちばん大切な文化です。制度に頼る前に、まわりの人と声をかけあい、できることを少しずつつないでいく。その積み重ねが、災害にも日常にも強いコミュニティをつくります。

助け合いを“あたりまえの習慣”として未来へつなぐ

河野さんは「助け合いが自然にできれば、ボランティアという言葉はいらない」と話していました。これは、これからの社会の理想そのものです。支援を“特別なこと”ではなく、ふだんの生活の中のあたりまえとして扱う。子どもたちが「人を助けるって普通のことだよね」と思えるような雰囲気を、地域で育てていく。

ひまわりが、かつて「怖い場所」だった土地を「希望の景色」に変えたように、私たちも日常の中で小さな“希望の種”をまき続けることが大切です。未来を変えるのは、大きな制度や仕組みだけではありません。誰かが「やってみよう」と踏み出す、小さな勇気です。そして、その最初の一歩はいつも、「どう聞くか」というところから始まっていきます。

東日本大震災の仮設住宅支援、復興起業家育成に関わってきました。大学では、震災復興を考える講座やワークショップを実施しています。ここでは、復興ボランティア学講座の記録をまてめて、公開しています。

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