もくじ
プレーワーカーズ 廣川和紀 Part1-2
動画は2020年7月7日「復興ボランティア学」より、プレーワーカーズの理事・廣川和紀さんのお話です。2020年はオンライン開講だったので、授業内容を4本の動画で提供していただきました。今回は1番目の動画を3分割したものの2/3本目になります。
高校2年でサッカー部を辞め、子ども相手にボランティア活動をするようになった廣川さん。でもこの時期「ボランティア」と言われることに抵抗を持っていました。その理由は、もしかしたらボランティア活動をしている、あなたも共感できるかもしれません。
楽しい。だからボランティアを続けられた
高校生ぐらいの時、思っていたんですけど、ボランティアっていう言葉が嫌いでした。復興ボランティア学なのにボランティア嫌いって、どういうことなのかって話ですよね。
どういうことかっていうと、高校生の頃にみんなが部活動やってたり、アルバイトとかやってる時に、自分だけサッカーのコーチ行ってきますといって、ボランティア活動をしていました。アルバイトでお金もらえたわけじゃなくて、本当に無償のボランティアだったんです。そんなことしていたら、友達や、みんなから「何してんの」「何でそんなお金にもならないようなことずっとやってんの」とかって言われて、その当時は説明ができなかったんです。
だけど自分的には、別にただ楽しいからやっていただけ。部活で競技スポーツとしてサッカーをやってた時も楽しかったけど、そうじゃなくて、子供たちと一緒にやったりとか、年上のコーチやお父さん講師とかと一緒に話をするのが楽しくて、凄く刺激的だったので、それも楽しいからやっているだけなのにって思ってました。
震災支援のつもりが、子どもたちと一緒に楽しんでいました
だから、何かボランティアっていうと、いままた震災があって少しイメージ変わったかもしれないですけど、その当時のボランティアのイメージって無償で誰かのためにって、偽善みたいな活動って言われたりとかしました。自分のプラスに何の得にもなんないことを、いい人ぶってやって、みたいなことを結構言われたので、なんかボランティアって言葉自体が好きになれないなって思っていました。
だけど、ほんとは違うと、どこかでは思っていました。そして、震災の後、2011年の5月から子どもの遊び場をやろうと思ってやり始めました。左の写真の車は自分の自家用車ですけど、車の中にいろんなロープとか、子どもの遊べる道具を積んで、おもちゃを積んで、そこで遊び場をやりしました。右の写真は、秋になったら落ち葉で顔を隠してわーっと遊んでるところなんです。震災支援のつもりでもいたけど、子こどもと一緒に遊ぶってことが、自分も楽しいからなんです。そのように遊んでました、というかやり始めていました。(Part1-3へつづく)
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