知らない暮らしを知るために、旅をしていた。しかし基本もらうばかり。それで、後半になって、かわりに何を差し出せるか、この人のために何かできないかなと考え、訪れた集落の人たちの話を聞かせてもらうようにした。自分は何も持ってないし、無力だけど、そこで聞いた集落の人たちにやりたいということを、できないなりに、かたちにしていったら、次々とできることが増えていった。
もくじ
2014年5月20日 つむぎや 友廣裕一 Part2
何も持ってなくても、無力でも、できることある
どんな人がどんなふうに暮らしながら、働きながら、どんなことを考えながら、生きてるのかというのを、自分の中でなんとなく腑に落ちるまで回ってみたいなと思って、それで旅をしていました。僕は基本もらうばっかり。食わしてもらうんです、メシを。「すいません、ありがとうございます」って。
後半になって、かわりに僕は何を差し出せるか、というのを常に考えるわけです。何ができるだろう。もちろん草刈りしたり、掃除したりするんですけど、それ以上に、この人のために何かできないかなと思って、いろいろ話を聞かせてもらっていました。
何か自分ができることないかって考えてたら、田舎の集落のおばあちゃん、じいちゃんたちが集まってきて話していると、若い人たちを招き入れてツアーをやってみたい、みたいな話をするんですよ。うちのじいちゃんはハチを捕る名人だ、みたいな。こういうの何か喜んでくれないかな、みたいなこと相談されて。でもやりようによっては、知らない世界だから面白いんじゃないですかね、とか。そばが打てるじいちゃんがいるとか、そういう話が出てくるんですね。
普通に地域の人が、ほんとに真っ向勝負でツアーをやろうと思ったら、行政の人に補助金もらいに行ったりとかして、そこからプランを立てるとか、すごい時間がかかる。労力もかかる。でも僕が、「とりあえず一回やってみましょうか」といって僕の友だちとかに声をかけたら、5人ぐらい集まったりするんです。それを連れて行ったら、一回経験ができちゃう。
それで「すごい面白い」「すごい楽しい」てなったら、また続けていこうってなる。「今度はこうしたほうがいいよね」みたいなことで、どんどんブラッシュアップして続いていく。そういうことが、意外と、僕何も持ってないし、すごい無力だけど、できることあるなと思って、そういうことをやってきました。
求められる役割は全て打ち返す
ツアーをやったり、ほかにもいろいろ、この旅の後はそんな感じで、求められる役割はすべて僕は打ち返そうと思っていました。友廣裕一という人間を理解して、そのうえで「こいつと一緒に何かやりたい」とか、「何か相談に乗ってくれ」と言われたことは、とりあえずすべて打ち返す。
何もできないけど、できないなりにやっていったら、できることが増えたり、できることの質が上がっていくんじゃないかと思って、そんなことをやってきました。やってきたら、とりあえずお金にならないこともあるけど、なんかお金になることも出てきて、とりあえず死なないなみたいな、とりあえず生きていけるぞ、これは、みたいな感じになっていろいろやってきたんです。
ほかにも、例えば島の漁師さんたちが、若い漁師さんの担い手がいない、このまま行ったら漁協がなくなっちゃう、みたいな話があって。若い人を受け入れる研修みたいなのをやりたいと。今、農業とかって、就農、農家になりた人を受け入れるプログラムみたいなのがあるんですけど、漁師ってないんですよね。
とりあえず1週間、体験漁師みたいなのをやって、船に乗って。だいたい毎日ゲロ吐きまくって、「無理!」って帰っていくんですけど、それで粘れたら残れる。地元で漁師になれるかもね、みたいなプログラムを一緒にやったりとか。
あとは野菜を売りたいみたいな人がいて。そういうことならというので、僕は東京の墨田区に住んでたんですけど、そこで青空市を開いて。今も週2日やってるんですけど、そこに農家さんが来て野菜を売るみたいな場をつくったりとか、ほんと何でも屋をやっていました。
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