11.震災後、不登校児の居場所をつくる

エッジ

関西での不登校児支援から、今度は震災後の石巻での取り組みへと話が飛びます。宮城県は震災後の2012年から中学生の不登校率ワーストワンを記録していました。特に被害の大きかった石巻で、河内さんは子供たちの居場所づくりを始めます。しかし、震災から3年、いつまでも関西からボランティアを送り込むことに息切れ感がでてきました。

2014年5月13日 Edge 河内崇典 Part11

「ほっとスペース石巻」という居場所

僕自身は3月17日入った後以降、何か半年ほどつなプロっていうところで活動しましたけれども、何かやった活動をこの石巻に残していけたらなということで、2011年の6月ぐらいから子どもたちの居場所を作ってしまおうと。

もともと大阪でそういう不登校の子どもたちの居場所を作っていたので、いずれはそういう子どもたちの支援が石巻にも必要だろうということで、6月からほっとスペース石巻っていうような形で、石巻市役所の後ろの「杉」っていう喫茶店の2階の部分で場所を勝手に借りて、ぼろぼろに潰れていたので最初ただで借りてました。

そこで子どもたちを集めて勉強をしたりとかミサンガを作ったりとかっていうような活動をしています。今もなおそういう学校に通えない子どもたちがそこに来てくれています。

 そこのボランティアしませんか。もっともっとこういう地域での活動が増えていってほしいんですよ。あなた方は少しお兄ちゃんで大学に来れるぐらいの力があるかも分からないけれども、やっぱりあの震災を機にどっかで引っかかってる子どもたち多くいて、その子どもたちの支援をやっぱりここの地域でやっていかないといけないと思っています。

地域で誰かがどこかで何かに取り組む支援を

僕は今その地元のボランティアのが数が少ないから、大阪からスタッフを派遣して3年間この仕組みをずっと運営してきました。けれども、3年間に何十回、何百回と飛行機に乗れば、息切れを起こしていますよ。

 なのでできれば地元でそういう課題のある子どもたちの支援を学生たちがやってくれればいいなとは思っていて、こういったところの子どもたちのサポートをぜひここで聞いてる学生たちがやってもいいかなとか思うんであれば、ぜひモンマくんに声をかけていただいたら、モンマくんにも関わってもらいながら、なんとか地元に残していこうという、こういう子どもたちの居場所。

 残念ながら宮城県は不登校の率1位になりましたからね。そらそうですよ。こんな大変なことがあれば、これから顕著に出てきます。だから全員でその子どもたちの支援をしていかないといけない。それが今まではボランティアであったりとかいろんな国の支援であったけれども、これからどんどんどんどん日常になっていきます。

 その日常の中で皆さんが課題に気づいて、誰かがどこかで何かに取り組まないとそういう子どもたちは増え続けますし、支援がない状態でもっともっと大きな課題を抱えていくことになります。

動画 Part11(2014年 Edge)


やっさん

東日本大震災の仮設住宅支援、復興起業家育成に関わってきました。大学では、震災復興を考える講座やワークショップを実施しています。ここでは、復興ボランティア学講座の記録をまてめて、公開しています。

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やっさん

東日本大震災の仮設住宅支援や復興起業家育成に10年間携わってきました。現在は震災復興に関する講座やワークショップを実施しています。ここでは、復興ボランティア学講座の記録をまとめて公開しています。

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