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2013年5月21日 ワカツク 渡辺一馬 Part8
普段は仙台で若者の社会参加と人材育成を手がけている渡辺さん。東日本大震災でボランティアの活動を裏方として支えていました。県庁で行われていた会議では、この緊急事態においても前例に囚われる役人を尻目に、国連の支援物資を引き受けてしまいます。行政、自衛隊、民間が入り交じり、超えてはいけない、見えない「意識の壁」だらけの会議室で何が起きていたのでしょうか。
「前例がない」だから決められない
その中の一つの事例が、どこかで見たことあると思いますが、WFPから大きいテントをもらいました。この会議室に国連の方々が来て、フランスなまりの英語をしゃべっている人、スペイン語なまりの英語をしゃべっている人、すごく流ちょうなアメリカ英語っぽい英語をしゃべっている人みたいなのがわーっといて、「おい日本人、大変だから俺たち助けてやるぜ」超意訳、みたいな感じのことをしゃべっているのを聞いていました。
宮城県の皆さんに「何か助けることはないですか」と国連の方々が言うんだけど、宮城県の局長だったか、部長だったか、もう定かに覚えていませんけれども、彼が通訳を介して国連の方々に言ったのは、「そういうことを手伝ってくれるのはありがたいが、日本が国連から支援を受けるかどうか決めていませんので、県としてはそういうことを受けられるかどうか決められません」と言ってました。「出た、『前例がない』だ」と思って。そこで学生のころのことを思い出しました。
その物資、僕がもらってもいいですか
完全なるオフザーバーだったのですが、英語をしゃべれないから手を挙げて、通訳してもらって、「じゃあ、あなたたちがくれると言っている物資とかを、僕がもらうことはできますか」と言ったんです。一民間人です。そしたら国連の人が「いいよ」と言ったんです。
国連ってすごいばかなんじゃないかと思いましたけど。「じゃあ、もらいます」というふうにして、もらった物がこれです。でっかいテントです。もらったといっても僕がもらったわけではなくて、「もらう」と僕が意思表示をして、張るための場所をいろいろな方にご協力をいただいて、物流拠点をつくることをしました。
また聞きなので、本当かどうかは知りませんが。僕が「欲しい」と言ったものが、初めて国連が日本に物資を支援すると決めたものだそうです。結果的にはこれが建つのが5月ぐらいだったのですが、「あ、そうか。民間にやってもいいんだ」ということに国連の担当者は気付いたらししいのです。
そこで民間のNPOとかボランティア団体、町の商工会とかに支援することを意志決定して、被災各地にテントが建って、仮設商店街の前の仮設商店街になったりしたかと思います。
僕にとっての現場は会議室だったので、変な表現ですけど、事件は会議室で起こっていたんです。本当にいろいろなことが。今日はこれ以上言いませんが、いろいろあったんです、会議室の中で。それは、お互いの役割の中で越えられない一線を、特に自衛隊の人も、行政の人も、ここは越えられないから言えないことっていっぱいあったんだけど、それは民間側で何でもない人間が、「それはこうしたほうがいいですよね、ああしたほうがいいですよね」みたいなことをわーわー言っていったら、そこそこかたちになりました。
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