東日本大震災の石巻、“関係の力”が支援のかたちを揺るがした──石巻復興支援ネットワークの現場

復興支援活動の記録

## Volunteerカテゴリ(2013年/渡部慶太)

東日本大震災の石巻で立ち上がった“人をむすぶ力”の現場

東日本大震災から間もない石巻では、行政機能が大きく揺らぎ、地域には言葉にならない不安が漂っていました。物資は不足し、人手は足りず、避難所には毎日新しい困りごとが積み重なっていきました。その只中で、外部から来た支援者と地元住民のあいだをつなぎ、誰にも拾われない声を受け止めようとしていた人がいました。やっぺすの中心に立った渡部慶太さんです。彼が見ていたのは「誰を助けるか」ではなく、「どうすれば関係が育つか」という、人間の核心に触れる問いでした。

震災後の混乱のただ中で、渡部さんは「つなプロ」の一員として避難所を回り、小さな声を拾い続けました。声にできない弱者のニーズを専門的な支援につなぎ、必要な場所へ届けるという役割を担っていました。やがて、その動きは地元のお母さんたちとの協働へと広がり、「石巻復興支援ネットワーク(やっぺす)」の設立に結びつきました。

外部の支援者と地元住民の感覚は異なり、ときにすれ違いが生まれます。けれども、衝突のたびに関係が深まり、互いの強みがつながっていきました。お母さんたちの持つ地元の信頼と、外部支援者が持ち込んだ専門性。それらが重なり、石巻には「人と人をむすぶ力」が静かに根を張っていきます。支援の中心にあったのは、物資ではなく、仕組みでもなく、「関係」が育つ場そのものでした。

石巻で育った「つなぐ支援」の歩み

避難所に潜んでいた小さな沈黙との出会い

震災から十七日後、渡部さんは「つなプロ」の一員として石巻に入りました。避難所では食料や下着といった大きなニーズが優先される一方で、妊婦さん、聴覚障害のある方、高齢者など、声を上げにくい人たちの小さな困りごとが取り残されていました。

渡部さんは避難所を巡回し、個々の状況を丁寧に聞き取りながら、必要な支援団体へとつないでいきました。この活動は、混乱の中で忘れられがちな「沈黙のニーズ」に光を当てるものでした。「つなプロ」が初期から目指していたのは、こうした機能を地元に移し、住民自身が暮らしを支える担い手へと育っていく構造をつくることでした。

5月になると、「石巻復興支援ネットワーク(やっぺす)」が立ち上がりました。中心にいたのは地元のお母さんたちです。代表の兼子佳恵さんを軸にした、地域の細やかなネットワークに加え、外部支援者の専門性が交わっわりました。支援を「届ける」だけでなく、「つなぐ」役割を地域に手渡していく姿勢が、後の石巻の復興の礎になっていきます。

石巻の仮設住宅で育った4500名のつながり

避難所から仮設住宅へ移ったことで、被災者の孤独死や孤立のの恐れがありました。やっペすは、集会所をつかってミニカルチャーセンターのような交流の場を積極的に展開しました。石巻最大の仮設住宅団地である、開成や南境の仮設住宅では423回の講座が行われ、延べ4500名を超える住民が参加しました。人口比にして2割を超える参加率は、支援が「場づくり」として根付いた証でもありました。こうした場は、物資では埋まらない不安や孤独に寄り添う小さな灯になっていきました。

見えにくい声から生まれた新しい活動

仮設住宅での活動が続く中で、地域の中に言葉になりにくい課題が浮かび上がってきます。子どもたちの遊び場がないこと、男性が集まりづらいことなど、生活の隙間に潜む見えにくい困りごとでした。やっぺすはこの変化に柔軟に向き合います。

子どもたちに向けては、広場づくりやプレーパーク(遊び場)の運営を始めました。広い場所を借りてつくった、プレーパークには延べ500名が訪れ、被災地に子どもたちの笑い声が戻りました。また、市民農園では30名を超える男性が土と向き合い、地域に新しい参加の形が育っていきました。仮設の中にコミュニティが育ちながら、外部との距離が開き始めるという新たな課題も見えていましたが、やっぺすはその変化にも寄り添い、地域の息づかいをつなぎ留めていきました。

地元のお母さんたちが埋めた支援の「すき間」

やっぺすの活動の柱となった事業の一つが、国の復興支援型地域社会雇用創造事業による「復興の担い手育成」でした。社会起業の育成団体であるedgeと協働し、「石巻の課題を事業で解決したい」「自分にできる一歩を形にしたい」と考える人たちです。支援の対象になった20名には、一人あたり200〜250万円ほどの支援金と、伴走型のメンタリングがセットになっていました。

さらに阪神大震災の教訓を学ぶ神戸合宿も企画され、参加者が地域で動き出すための基礎を整える時間となりました。そこからは、学習支援、地域メディア運営、移送サービス、IT教育、ダイビングショップなど、次々と新しい活動が立ち上がっていきます。どれも石巻の暮らしを支えるための小さな一歩であり、その一歩を後押しする仕組みが、やっぺすによって丁寧につくられていきました。

石巻で育った“つながりの復興”が示した構造

制度の限界を超えた「関係性の機能」

避難所と仮設住宅で起きていた現象を整理すると、石巻では震災後に顕在化した「制度では支えきれない領域」を埋める動きが自然発生していたことが分かります。行政機能が被災し、制度の網目からこぼれ落ちる小さな困りごとが増えていく一方で、やっぺすのような支援団体が細部のニーズを拾い上げ、生活再建の最初の階段を支えました。

この構造は、制度の機能不全を批判するものではなく、大規模災害における制度の「特性」を示しています。制度は公平性と効率性を目的に設計されているため、どうしても「規模が大きいニーズ」から対応せざるを得ません。しかし、地域が実際に必要としていたのは、声を出せない人のそばに座り、日常をつなぎ留める関係性の機能でした。石巻では、この二つの機能の間に真空地帯が生まれ、その隙間を埋める担い手が現れたことで、生活再建の最初のプロセスが回り始めたのです。

地元ネットワークと外部専門性の“相互補完”

やっぺすの活動を構造的に見ると、地元住民のネットワークと外部支援者の専門性が高い相補性を持って機能していました。地元のお母さんたちが地域の事情に通じているため、状況に合わせて細やかな判断が可能でした。一方、外部から来た支援者は資金調達、広報、運営管理といったノウハウを持ち込み、団体の基盤を整えました。

この関係は、単なる役割分担ではなく、「地域の強み」と「外部の強み」が衝突と対話を経て混ざり合うプロセスでした。担い手育成事業が多様な実践を生み、地域に新たな循環をつくり出したことは、この構造的な融合の結果といえます。復興が進むほど、制度の力よりも、こうした「関係性の資本」が地域の回復力を押し上げる要因として機能していたことが、石巻の現場から浮かび上がります。

共助を支えるのは「小さな声」を拾う技術

小さな声を拾う感性が地域の安全網になる

石巻の記録は、地域づくりや防災教育にとって重要な教訓を示しています。大きな課題よりも、むしろ「声にしづらい悩み」をどれだけ拾えるかが、支援の質を左右していました。避難所の巡回で見えた妊婦さんや障害のある方の困りごとは、制度の枠組みでは掬いきれないものでした。

この「沈黙のサイン」に気づく力は、災害時に限られた特別な技能ではなく、学校、福祉、地域コミュニティにも共通して求められるものです。どんな場でも、小さな違和感や小さな沈黙に気づく人が一人いるだけで、コミュニティは大きく弱らずに済みます。共助の第一歩は、特別なリーダーではなく、「気づく人」を育てることだと、石巻の現場は教えていました。

担い手が循環する仕組みが復興を深める

担い手育成事業が示したのは、復興とは「サービスの提供」ではなく、「担い手をつくる」過程そのものだという事実です。支援金とメンタリングを組み合わせ、参加者自身が地域の課題に向き合い、事業として形にしていくプロセスには、外部支援が永続しない復興現場において極めて重要な意味がありました。

地域メディア、移送支援、学習支援、IT教育など、多様な事業が石巻の暮らしを支えた背景には、担い手が受け手から発信者へと変わる循環があります。この仕組みは、地域づくりにも防災教育にも応用できる普遍的な教訓であり、「誰かに任せる地域」から「みんなで動く地域」へと転換するための鍵になります。

“特別な支援”を“日常の文化”へ戻すために

小さな挑戦を応援する風土づくりへ

災害から時間が経つと、復興は「特別な行為」から「地域の日常」へと戻っていきます。そのとき最も重要になるのは、「小さな挑戦を応援する文化」があるかどうかです。やっぺすは、手芸やヨガ、石巻焼きそばの講座のような日常に根ざした取り組みを通じて、挑戦を笑わない風土を育ててきました。

この文化は、人口減少が進む地方都市にとって、災害とは関係なく重要な土台になります。若い世代が挑戦しやすい環境、女性が学び直せる環境、男性が気軽に集まれる場。その一つひとつが、地域の未来を支える日常の支援力となります。

関係性の資本を次の世代へつなぐ

復興の記録は、時が経つほど忘れられがちです。しかし、石巻で育ったのは、制度を補完するための“技術”よりも、人と人をむすぶ「関係性の資本」でした。外部支援者と地元の人が衝突しながら信頼を育てていったプロセスは、どの地域にも応用可能な知恵です。

これからの地域づくりや防災の学びにおいて、最も重要なのは、この関係性の資本を次の世代へどう手渡していくかという問いです。災害が起きたときだけ動くのではなく、平時から「つながりの習慣」を育てていく。そこに、石巻の経験が示す未来への希望があります。

東日本大震災の仮設住宅支援、復興起業家育成に関わってきました。大学では、震災復興を考える講座やワークショップを実施しています。ここでは、復興ボランティア学講座の記録をまてめて、公開しています。

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