2.災害ボランティアセンター設置と地元大学・行政との連携構築

2014年

2014年|復興ボランティア学|第2回−2
登壇者:阿部由紀さん
所属:石巻市社会福祉協議会

災害発生直後、社会福祉協議会職員として限られた資源の中で命の優先順位を判断し、現場での苦渋の決断や責任を担った経験が記録されています。地元大学や行政と連携し、災害ボランティアセンターの早期設置や運営準備、応急仮設住宅での支援活動など、地域の実情に即した実践と、その中で培われた信頼関係の背景が本人の言葉で語られています。

震災直後、4号館に集まった人々と、揺れる現場の葛藤

地元の大学さんを会場にボランティアセンターの設置訓練をさせていただいたり、災害ボランティアフォーラムというのの開催をこちらのホールを使わせていただいてやらせていただきました、この4号館内で。

ボランティアセンターも当初こちらで設置させていただくのに4号館がいいかもしれないという話もちょっと出まして、4号館で最初契約をしようかなというふうに話をしていたのですが、ここの4号館がたまたま被災した方々がたくさんお見えになって、みんながいま座っているところ、ここにあの当時でたぶん700人とかそういうレベルで被災した方が自衛隊に運ばれてきたり、もしくは自分でご自身が避難してきたり。俺は胸ぐらをつかまれながらたくわんねえかとか、おにぎりねえかって言われたのですよ、一人でここにいたので。

だから当時は先生方に非常に、あと学生もいましたけれども、お世話になりました。先生方も疲弊しましたよね、やっぱり24時間体制ですから、そういう状況は。我々みたいなのが来てちょっと先生には離れてもらって。僕対何百という数字になるのです。だからここにいる数字ではないですね、ここは100や200ぐらいですから。

それにバナナが届くのです。バナナをここで俺一人で配るのです。この座っている人たちに向けて、一人で。それを見かねた若い世代の方々、20代のカップルだったような気がします。その方々が徐々に手伝い始めてくれて、全部渡し終えるのに汗だくだったですね、あのくそ寒いのに。それが次の日かな、12日あたりの出来事です。13日も何か届いたかと思ってヘリコプターが来たので見に行ったらまたバナナでしたよね、あれにはあぜんとしました。

それから子供支援ということをちょっと考えてほしかったという部分もちょっとあったのが、当時ミルクとかそういうのもなかなか届かなくて、乳幼児もいましたし。もちろんお母さんにだっこされるしかない子もいたのです。プラス水に濡れたような高齢者がこの1階辺りに結構寝ていましたね、上に上がれない人、毛布はたった30枚しか届かずでした。

じゃあ何をするかと、高齢者を見過ごすしかなかったです。俺は社会福祉協議会として老人福祉をやってきて25年以上たつのです。初めて高齢者を裏切る瞬間ですよね。誰を助けるかといったらやっぱり子供を助ける、赤ちゃんを助けたい、そっちのほうに考え方はいく。

だから先輩方ごめん君たちは十分生きたというふうに考えました。だからいまでもその考え方にトラウマになっています。あのときに見逃したというか、本当に具合が悪くてその辺に寝ている人をまたいで通って歩く担当者。あれは社会福祉協議会の職員としていまでも心の奥底に何か残っているものがあります。

でも災害時はいかに生きるかですから、それを考えると間違ってはいなかったといまでも思っています、誰一人として死ななかったのは確かですから。だからベストを尽くすというのを、どういうふうにしてみんながベストを尽くすか。冷静な頭で災害時は判断をしなければなりません。自分の生命を守るという、他の生命を守るというよりてめえの生命をまず守ることが大事。そこから始まらないと大事な命も守れないです。

家族を守るための選択と、災害への覚悟

だからここでちょっと話はそれるかもしれませんが、私が家を建てるときになぜ河南町という地域の鹿又というところを選んだかという理由なのです。雄勝というところに住んでいて、津波が来るから雄勝には家を建てない。だから河南に建てる、これは家族を守るために選択した理由です。

これはなぜそういうふうに思ったかというといまから17、8年前ですから、津波が来るともまだ言われてない時代、ただおばあさんから聞いていたのは津波の怖さです。だから雄勝には家は建てられない。どこに建てるかといったら内陸に建てるしかない、石巻に住みたいならそれしかないという選択です。

家族を守るためにはそれしかなかったです。東松島の赤井という地域があって、本当はそこも家を建てられる準備が、そこも土地を売っていてそっちがいいかなと思ったのですけど、定川という川があってそれが溢れてくるだろうという予測をしてあそこに建てないことに決めたのです。

だからいまから災害大国である日本に住む我々としては災害と向き合わないといけないのです。だから災害に対して自分自身がどう向き合っていくのかという覚悟を決めて住めばいいのです。だから南海トラフ地震があって34万人が死ぬとか、東京直下型地震があって何万人が死ぬとかという予測が出ているときに、たぶんここにいる人ほとんどの人が他人事だと思っている、自分は死なねえと思っている。

自分が死ぬものだと思って予測を立てる必要が本当はあって。だから俺は東京へ行ったときに山手線しか乗らない、地下に行きたくないのです。だからそういうところを徹底しています、いまでも。だからカミさんと一緒に車に乗っても高架橋の下で、例えば信号待ちをしているときにもいま地震が起きてもし上が落ちてきそうになったら、かみさんをどう助けるかということを考えています。だからそのぐらい、あまり過敏になってほしくはないですけど、そのぐらい自分は思いながら暮らしているという人間です。

だからそれだけ臆病になっていいと思うぐらいです。そうじゃないと自分の大事な人は守れないです。あっさり自分は守れなかったということで後悔すればいいと思います。だからこれはその準備のための段階を僕が担当者としてやってきた部分です。だから紙を作って、その紙に対して理由を作ってフォーラムや訓練を開催してくると、これは担当者として当たり前の部分をやらしてもらいました。

地域と大学、行政が連携した支援体制の裏側

地元の大学をご指名させていただいたのも実は私でございまして、ぜひここに1,000人規模の災害ボランティアセンターを作りたいということで震災の3年ほど前に市役所にお願いしに行き市役所の担当者の方々がそれを理解してくれて、あのボランティアセンターというのは、非常に市役所の理解があってこそのボランティアセンターでした。

それから大学の関係者の皆さんに本当に感謝をしながら、あのボランティアセンターをやらせてもらいました。だからよその市町村に負けないというか、よその市町村よりスピードが速いボランティアセンターが展開されました。我々は陸上競技でいうところの、例えばアップが終わってて、もうスターティングブロックのところに足も付けていて、もうユニホームも着てて準備体操は終わっているからスタートするのを、たぶんピストルが鳴るのを待っている状態です、いつでも。

ところがほかのところは、そこからユニホームを着て靴をはいて準備しているわけですからそれは遅いわけです。だからどれだけ早めに準備をしておくか、備えておくかということの大事さを痛感したものです。その準備もギリギリ間に合っているのです、全部。無線の設置も250万ぐらいかかって設置しています。無線はあくまで、要は電力が供給できないのを想定して車載器にしています。つまりエンジンをかけると無線通信ができるからです。だから電力がこなくてもそういうことができるように。

当時は10カ所ぐらいに設置していましたが、いまでは20カ所ぐらい、年間維持費も80万ぐらいかかりますが、たぶんこれは何か急を要するときには非常に有効なものになると思います。普通のトランシーバーとかじゃなくて、ここから岩手県の花巻とか、福島の相馬ぐらいまでは通るような無線機を使っていますから、維持経費がちょっとかかります。これが当時やってきたことです。

地元の大学に来させていただいたのは3月12日の日です。なぜ来たかというのは、ここが絶対使えるだろうという確認を取るために来させてもらいました。それで先生方と一度お会いをしてゴーサインを待つと、市長のゴーサインを待つだけです。市長になぜゴーサインを待つかというのは、市長に最後に金を払ってもらうためです。我々が先にやってしまうと社協がやれるのだろうと思われるのです。

だから市長のゴーサインをちゃんと待って、あと最後にこちらの修繕費とか、そういったものを本当に、結構本当はたいした壊したはずなのですが、ただで使わせていただいて、たかだか7、800万程度のお金で済みました。これは大学のご協力もあったし、それから全部800万は市役所が出していますから、社協では一切お金を出していない。

運営をするだけですから紙の作り方なのです。運営をするのはうちですと。ただお金を出したりするのは市ですというふうに謳ってますから、ちゃんと。そういう決まりごとを作っておくということが非常に大事だったです。あとその後、そういった活動を通じて、いまでいう応急仮設住宅の支援やら、みなし仮設住宅の支援を社会福祉協議会が信頼をこれでもらって一手にやらせていただくような格好になります。

(次回に続く)


4号館に集まった被災者の中で、限られた食料や毛布を前に、誰を優先するかを一人で判断し続けた時間がありました。高齢者を見過ごし、子供や赤ちゃんを先に支援する決断。その場に立つ職員として、冷静さと責任の重さが交錯する現場でした。

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