1.東日本大震災、石巻の現場から見た復興と世代への思い

2014年

2014年|復興ボランティア学|第2回−1
登壇者:阿部由紀さん
所属:石巻市社会福祉協議会

2014年、石巻市社会福祉協議会の阿部由紀さんは、学生たちを前にこんな話から講演を始めました。
「私の息子も、皆さんと同じ世代なんです」
震災の現場を支えた実務家の講演でありながら、その言葉は意外なほど穏やかでした。けれど、その穏やかな語りの奥には、地元の大学で4カ月暮らしながら災害ボランティアセンターを運営した日々と、「しくじれなかった」と振り返る重い責任がありました。
石巻で起きた出来事を語りながら、阿部さんは何を次の世代へ託そうとしていたのでしょうか。

石巻の現場で感じた世代へのバトン

皆さんこんにちは。いま、紹介がありました、社会福祉協議会の阿部と申します。皆さん、あまり携わったことのない方が多いと思うので、社会福祉協議会ってどんな仕事をしているのかな、というところはあるかと思います。

もちろん石巻の人間です。ここに石巻と女川と東松島の人ってどのぐらいいるのですか。ちょっと手を挙げてみてください、石巻と東松島と女川の人。結構少ないんですかね、ありがとうございます。

私の息子は石巻商業を卒業して、いま地元の大学に入っている方も同じ年の子がいるのかなと思います。いま3年生になるのかな。だからもしかしたらこの中に息子と同級生の人がいるのかなと思ったりしています。娘ももう23になりますから、たぶんみんなよりちょっと上か、もしくは同じぐらいかなと。だから本当に子供世代のみんなに、いま親としての年代の私がちょっと話をするっていうのも、ある意味ちょっと緊張しますね。

何ていうんだろうな、みんなに対して、これから世の中を託していかなければならないと思っています。いずれ私らは現役あと十何年で卒業しますから、あとは皆さんの世代になります。みんなが就職して石巻やこの日本をどう支えるかっていうのが、これからのポイントになってくると思っています。

大学とボランティアセンター、そして震災の現場

石巻災害ボランティアセンター、こちらを会場に学者さんいらっしゃってますけれども、非常に地元の大学という大学が日本に誇れるというか、唯一大学が、災害ボランティアセンターと協定を結んでいるのはここだけです。それは学生の皆さんにちょっと誇りに思ってほしいのです。なぜかというと皆さんたぶんその事実があってから入学された方々なのかなと思いますので。

あの当時の地元の大学の学生はボランティアで、はだしで歩く人や刺青を彫っている人、たくさんいろいろな人が来ていましたので、そういった意味ではよくこの大学が受け入れてくれたなというのがまず一つ大きくあります。我々は、そういった方々と一緒に歩んできました。震災の当時の皆さんもここに、たぶん被災された方もいらっしゃると思います。

あの当時本当に、ある意味不眠不休というか、こちらの大学を使わせてもらって朝6時にボランティアセンターを開ける準備を、大学のいまの5号館をお借りしてましたので、5号館で寝泊まりをして、あそこの床で寝ていましたね。12時までにある程度事務を終わらせて寝て、また6時に起きてというのを。妻にこの大学は僕の家ですと紹介したことがあります。

大学に泊まってたのは4カ月ぐらいですかね、私自身は。あと家に帰ったのは12月ぐらいです。だから一人の支援者として石巻のこの災害に向き合うと決めて、私自身は家を失ったわけではなかったので、私みたいなのが頑張らないといまの石巻はというような、変に背負ったものがありました。

そういった意味では何ていうのでしょう、皆さんに言ってもなかなか理解はできないかもしれませんが、別な意味で自分の人生において最大のチャンスが来たと思いました。自分の実力というか、いままでその被災地支援を業務の中でやってきて、災害が起きたときに市民というのはどういうふうになるのかというのを学習してきて、災害ボランティアセンターの運営をいろいろな市町村で見てきて、いろいろな反省をして、阪神淡路大震災から以降、災害ボランティアセンターというのは社会福祉協議会がやるのだと言われてハードルが上がり、それでこの震災を迎えたわけです。だからしくじれなかったですね。

そういう意味では、しくじれないという点で非常に緊張もしましたが、ある意味それを助けてくれたのがこの大学のキャンパスだったし、それから皆さんも町で見掛けたことがあるボランティアという方々の、本当にNPO、NGO、市民活動団体の皆さんがこの石巻、もしくは災害ボランティアセンター、そういったものも支えてくれたというのも事実です。

石巻の人口減少と世帯の変化、そして未来への問い

それはいまからちょっと触っていきますけれども、石巻の人口はいま15万人ぐらいです。これは合併時16万ぐらいあったのが、いまこれだけ減っているのです。震災によって減ったものもあれば自然減という地方都市の宿命ですよね。

私の娘も仙台に就職しています。これは本当に地方都市の宿命。それから震災雇用ということで、東京とか関東の企業が間口を広げてくれました。だから親世代の俺としてはうれしいわけですよ、自分の息子世代がそうやって就職口があるわけですから。大手の企業に就職された方もいらっしゃる。それはうれしい限りなのですが、一方で20年後、30年後を考えると少子高齢化、それがものすごい加速度を示すわけです。これが自分としては非常に、それに逆らうことはできないので、それを受け止める方向でやっていくしかないというふうにも感じました。

世帯数をちょっと見てほしいのですが、世帯数って増えているのです、人口は減っているのに。これは要するに仮設住宅でいままで2世代、3世代が一緒に暮らしていた者が分かれて暮らすようになって、いまは年寄りの家庭と例えば若夫婦の家庭で別に暮らさざるを得なくなっている世帯数の表れでもあります。

それプラスいま、年金収入で暮らしている高齢者は、例えば息子さんとかに一緒に暮らしていればお小遣いを孫にあげたりとかで済んでいたものが、自分たちで光熱水費を払わなければならなくなっていて、例えば100万、200万貯めていたお金もいまは散財してもう3年たちました。

いま、お金がなくなって生活保護、そういったふうな形にならざるを得ない人も増えているのも事実なのです。石巻というのは商工観光農林水産すべての業種がある市です。そういったところはほかにあまり類のない市でもあります。そこを皆さんちょっとご理解してもらいたいなというふうに思います。

ちょっと1時間なので早々といきますが、これはあらためて宮城県と石巻の比較です。石巻というのは宮城県内の3分の1の被害です。震災全体の5分の1は石巻です。岩手全体のがれき量と石巻を比べるとほぼ同じぐらい。つまりこれは県域災害と同じぐらいの災害であるということ、これを石巻市民は受け止めなければならなかったのです。

皆さんも何かやるのにポッとやる、例えば市民活動としてボランティア活動をするという目先の活動はすぐできるのだけど、ではでかい活動をするにはどうしたらいいだろうといったときに紙が生きてくる。いまの世の中行政、お役所なんかもそうだよね、紙が大事。だから大規模災害に対応するための覚え書きの締結をしているのです。これは県知事と市町村長、それから社会福祉協議会の会長の3人で覚え書きを結んでいるのです。大規模災害時には社会福祉協議会がボランティアセンターを運営しますよと、社協はそれに対して②番、③番を徐々に組み立てていきます。

(次回に続く)


「あと十何年かしたら、あとは皆さんの世代です」講演の冒頭で阿部さんはそう語りました。
震災の記録は、過去を振り返るためだけに残されているわけではありません。その時代を生きた人たちが、次の世代へ何を託そうとしたのか。その言葉に耳を傾ける時間もまた、復興の一部なのかもしれません。

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