2014年|復興ボランティア学|第2回−4
登壇者:阿部由紀さん
所属:石巻市社会福祉協議会
私たちの役割は、災害ボランティアセンターの運営において、どこまで支援するかというライン引きや、地元の大学との交渉、場の提供など、裏方としての調整と支援体制の構築にありました。それ以外の現場判断はすべてボランティアの皆さんに委ね、修繕費が発生した際には社会福祉協議会の交際費で対応するなど、柔軟な支援を実践してきました。こうした裏方の役割こそが、私たち社会福祉協議会の支援の本質だったと思います。
変わり者たちが集い、現場を支えた日々
そこに対して、こういったボランティアがいました。彼は熊本から来た子で、塾の講師をしていたのを辞めて石巻に来て、うちの職員になりましたが、おふくろさんが急病になって熊本に戻りました。彼も、この災害を見過ごすわけにはいかないという一人です。だから、変態ですよ、はっきり言って。こんな変わり者はあんまりいないのです。俺らはありえないのです、サラリーマンとしてそれはありえない。いくらどこかで何かが起きたとしても、対岸の火事。たぶん、みんなもそういう人が大概多いと思います。
この人たちがいたから、あの災害ボランティアセンターは非常に助かったというのは否めないのです。いま、町中にいらっしゃる方で、そういう人はたくさんいます。皆さんもすれ違っているとは思います。恩着せがましく暮らしていないですか、そういう人たち。受け入れ総数がこのような数字を残せたのも、すべて彼らのおかげなのです。
我々はその場の提供と地元の大学さんとの交渉だったり、あとどういう支援を、ライン引きですね、どういうラインを引くかなんていうのも我々の仕事ではありましたけれども、そのほかすべて全部現場判断なのです、どうしても。だから彼らに判断を委ねて、すべてボランティアの皆さんに請け負っていただいて。
実際、例えば修繕費が出たとき、ボランティアさんが活動して本当はボランティア保険に入るので、ボランティアが損保だから壊したものに関しては非常に損保扱いで補填ができるのですが、ただ重機とかそういったもので壊したものに関しては補填ができなくて、それについては社協のほうで交際費と称するもので出させていただきました。ちょっと金額は言えませんが、結構金額は高いです。そういった部分はありました。でも、そういうのが社会福祉協議会の黒子としての役目であり、我々がやってきた石巻というものに対しての支援の役割でした。
若いエネルギーと多様な人々の連携
そういう若いエネルギーというのは、こういった復興支援協議会が主催する部分で真ん中にいらっしゃる、いまいちばん下のほうにいらっしゃる方が会長さんでした。彼なんかが商工会議所の元会長でして、彼がリーダーシップを取ってくれて、その隣にいる自衛官の方は山形の人なのですよね。山形の部隊の人が行方不明者捜索という大義名分をもとに、本当は自衛隊は命令がないと動かないので、よく自衛隊がこうやって動くかというような部分がありました。こういうのがあって、いろいろな人たちが賛同をしてというところにいきます。
私自身もちょっと立ったまま参加していますけれども、みんなから見て右端に立っているのが私です。だから、ああいうふうにこういった皆さんと一緒にやってきたことが、非常に毎日ある意味楽しかったというか、刺激があったというか。

石巻の災害ボランティアセンターの特徴として、ここに書かせてもらっているのは、石巻災害復興支援協議会、これを始めようとした石巻NPO・NGO連絡会議、これを作ったほうがいいのではないかと言った山形の県議会議員になった人がいて、その人が言い始めてこういった活動を始め、それでその方がちょっと選挙のために山形に戻ったのです。ピースボートというNGOのほうにそれを委ねていったのです。ピースボートさんがそれを始めたのですが、先ほど言った石巻出身の方が「僕が協力してあげようか」という話になって、その方に会長になっていただいて事を進めていったほうがピースボートもリスクを回避できると。ある意味その人を中心に活動が始まった。今はみらいサポート石巻と名称もあらためて中間支援組織として彼らは今でも活動しています。
みらいサポート石巻の登録団体の実績としては、これは当時ですから、342団体16万6,000人の方々がそれに賛同し活動しました。これがいわゆる石巻が他に誇れることだと思います。
全国から集まった支援と、こだわりの現場づくり
これは災害ボランティアセンターで受け付けた都道府県別です。宮城県は4番目ぐらいに多いですかね、確か。1番は東京です。東京とやはり多いのが愛知県とか、あと兵庫、大阪、神奈川、千葉です。こういったところが主だったところです。宮城県はギリギリ4番手で踏ん張ってくれました。
内陸の方々や、あと当時石巻市民だった高校生の方、石巻商業の当時野球部、それから石巻高校の柔道部が真っ先に来てくれたのを今でも覚えています。その方々が最初のボランティアでした。その方々がいてこうなっています。住所が分からない、住所不定無職みたいな方々は全部東京になっていますので、東京が膨らんでいるのはしようがないです。たくさんいました、エジプトって書いた人もいます。なので、そういう方も要はいらっしゃるということです。この間エジプトが石巻に来たのでちょっと飲みました。彼はいま、中国から行って世界をまたに掛ける方で、明治大卒なのですけど、彼は何を考えているのだか分からないですが、いまは商社に勤めています。
全国からの社会福祉協議会というのの、こういった人的な支援があったというのも事実です。ここに全国からこのような形で支援がありました。これは全国社会福祉協議会という、我々のいちばんトップがあります。そこからの指示によって調整で来る人たちです。あと県内では大崎市の社会福祉協議会が延べ503名ほど来てくれたのは非常に大きいと思います。これは大崎のほうで何かあったら絶対に石巻は行かないといけないようになっています。
あと物資関係のものや寄付金関係、当時1,000万ほどいただきました。この寄付金は合計で4,000万いただいています、社協のほうは。それをいまは復興支援事業で会費とかが社会福祉協議会というのはもらえてなくて、それを事業費として使わせてもらっています。
こういうこだわりって大事だったのですが、ボランティアだけが活動するのは、それはばかでもできる活動なので、町内会と一緒に活動してもらうという活動にこだわりました。これが側溝掃除が第1番目。

なぜその側溝掃除にこだわったかというと、側溝掃除をすることによって町内会のもう一回住民のマンパワーというのを起こしたかったというのと、それから行政に対してアピールするには、ちっちゃい側溝はこうやって取れますが、でかい側溝についてはバキュームカーみたいなのでしか取れないのです、1メートルぐらいの側溝になると。それをアピールするために市役所にまず行って経路図というのをもらってきて、なぜ社協が側溝の経路図をもらうのですかと言われたのですが、一応こんなボランティア活動を始めるのでと言って。あとは町内会の会長さんにこういう活動をしてもらってから、町内会の会長から市役所に言ってもらって、バキュームでもう吸えというふうに言ってもらうとスムーズに、大街道地区から始めたのですがやってもらえる、これは段取りになるかと思います。
こういったものもこだわりがあって、だからこういう支援につながっていくのだろうと思います。石巻市民とボランティアの方がこういった形でいい支援につながります。これというのは、笑顔で振り向いている彼女なんかは石巻に思い入れを持って帰っていきます。すっと石巻にまた戻ってきたくなるのです。これは経済効果に絶対つながっているはずです。こういうのが我々のほうで言わずと知れてやらなければならなかったことです。こういうのにこだわってやってきました。
(次回に続く)
側溝掃除のために市役所から経路図を受け取り、町内会長さんと連携しながら、住民とボランティアが一緒に動き出す。その裏で、社会福祉協議会としてどこまで支援するかの線引きを行い、現場の判断に委ねていく。多様な人と組織が集まる中で、調整や裏方の工夫が重なっていきました。

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