13.目の前の課題を自分ごとに
目の前にある課題を自分ごとのように気づいて、その課題を解決する学生が増えて欲しい。復興ボランティア学のような授業を通して、地域に巻き込まれたり、ボランティアしたり、課題を解決するために起業したり、そう
目の前にある課題を自分ごとのように気づいて、その課題を解決する学生が増えて欲しい。復興ボランティア学のような授業を通して、地域に巻き込まれたり、ボランティアしたり、課題を解決するために起業したり、そう
「これから10年先この町を支えていくのは高校生です。ボランティアではありません。」河内さんは、高校生が主体になって、街の自立を支援する仕組み作りの第一歩として、高校生たちが作るカフェ「 」をつくりまし
関西での不登校児支援から、今度は震災後の石巻での取り組みへと話が飛びます。宮城県は震災後の2012年から中学生の不登校率ワーストワンを記録していました。特に被害の大きかった石巻で、河内さんは子供たちの
「障害を持った人や不登校や引きこもりの子どもたちが地域で暮らしていくためには、地域の理解を作っていかないといけない」と河内さんは言います。そのために、障害者の個性を価値に変えるような活動をしたり、街に
河内さんたちが大学生の頃に関わっていた、障害を持った人たちの親も15年も経てば高齢化がすすみ支援が必要となってきました。そうした必要に合わせて、み・らいずで活躍している大学生ボランティアも、ヘルパーや
河内さんと大学のサークルメンバーで、2001年に旗揚げしたNPO法人「み・らいず」。いまでは、1年間に500人もの関西の大学生をボランティアとして巻き込んで活動をしています。福祉関連の資格を持った学生
東日本大震災の発災から約1週間後、Edgeの河内さんはスペシャルサポートネット関西の先遣隊として石巻入りをしました。そこで、避難所などで特別な支援を必要としている人たちを見つけて、必要な支援を聞き出し
勘違いから始まった障害者ボランティアがきっかけとなって、大学では障害者を支援するサークル活動を立ち上げるまでになっていた河内さん。4年生になったとき、いままで出会った障害をもった人たちと、これからも関
大学生時代に割のいいバイトと思って職場に行ったら、在宅障害者のボランティアだったという河内さん。訪問先で「現代の竜宮城」並の大歓迎をされて、引くに引けなくなります。覚悟を決めて脳性麻痺の人の入浴を介助
高額時給に目がくらんで、「毎日入ります」といって、意気揚々とバイト先への総合福祉センターへ行った河内さん。ところが、ガイドヘルパーの仕事が在宅障害者の入浴介助と聞いた途端に、そのやる気も雲散霧消してし
15校も受験してやっとの思いで入学した大学ですが、全く馴染めず大学へは行かずにプラプラしていました。さすがにアルバイトくらいはしようと思って、やってはみたもののこれにもまた馴染めない。そんなとき、高校
学生の時に障害を持つ人と出会って人生が変わったという河内さん。ここではちょっと話が外れて、大学進学までのエピソードを話しています。実は河内さん、高校時代は全く勉強ができずに、12教科中11教科も赤点で
東日本大震災の仮設住宅支援や復興起業家育成に10年間携わってきました。現在は震災復興に関する講座やワークショップを実施しています。ここでは、復興ボランティア学講座の記録をまとめて公開しています。