2013年7月23日復興ボランティア学 移動支援Rera
2013年7月23日「復興ボランティア学」は、移動支援Rera代表の村島弘子さんに登壇頂きました。移動支援Reraは、東日本大震災の被災者の移動支援を目的に設立されました。東日本大震災の直後は自家用車
2013年7月23日「復興ボランティア学」は、移動支援Rera代表の村島弘子さんに登壇頂きました。移動支援Reraは、東日本大震災の被災者の移動支援を目的に設立されました。東日本大震災の直後は自家用車
東日本大震災のボランティアとしてReraに参加したのに、いつのまにか法人代表になってしまった村島さん。震災後に被災者の足としてスタートしたReraは、それから毎日休むことなく移動をお手伝いをしてきまし
ん。2年間、毎日、休むことなく被災者の移動をしていると、時間ともに変化していく被災者のニーズが、手に取るようにわかるそうです。最初は津波で車を失った人たちばかりでしたが、今は高齢者・ 障害者の送迎が多
が、いつのまにか法人代表になってしまった村島さん。送迎支援の朝はとても早く始まります。朝6時半に集合してミーティングを終えたらすぐに出発です。それから夕方まで休む間もなく送迎の繰り返し。雨の日も雪の日
一人のボランティアとしてReraに参加したのに、いつのまにかReraの代表になっていた村島さん。東日本大震災から2年間、毎日、休むことなく社会的弱者に密着して送迎をしてきました。活動では常に現場の切実
東日本大震災でボランティアとしてReraに参加し、法人代表にまでなった村島さん。震災からしばらくすると、Reraの利用者に人工透析患者が増えてきたといいます。人工透析とは腎臓の機能が弱っている人の血液
東日本大震災で一人のボランティアとしてReraに参加し、法人の代表にまでなった村島さん。民間のボランティア団体が、「移動」というライフラインを支えていることに疑問を感じて行政に相談しました。最低限、子
者の死亡率がとても高く、その事実が送迎の車の中で聞く利用者さんの話とダブります。災害が弱者の命から先に奪っていく一方で、防潮堤といったインフラ整備ばかりに莫大な資金をかけることに問題を感じています。防
東日本大震災で一人のボランティアとしてReraに参加し、法人の代表にまでなった村島さん。移動支援の現場から、地域が抱えている問題がありありと見えてきました。被災地は日本の未来を10年先取りをしていると
Reraの代表で、北海道出身の村島さん。実はReraの母体となったのは北海道のHOPという障害者支援団体でした。村島さんは縁あって活動に加わりましたが、現在の運営メンバーは主に地元出身者が中心となって
Reraの代表で、北海道出身の村島さん。大学ではロシア語を勉強していました。ところが就職はロシア語とは関係の無い児童館の指導員になります。仕事をするなかで自分のふがいなさを感じ、あるとき思い立って国内
東日本大震災被災したで移動支援活動をしている団体Reraの村島代表。最後にボランティアの意味について受講者に問いかけています。村島さんはあるとき気になって「ボランティア」という言葉を調べたことで、その
東日本大震災の仮設住宅支援や復興起業家育成に10年間携わってきました。現在は震災復興に関する講座やワークショップを実施しています。ここでは、復興ボランティア学講座の記録をまとめて公開しています。