8.幸せは金銭という尺度で決まらない
東日本大震災のボランティアをきっかけに石巻に定住した魚谷さん。不安定な収入であっても、やりたいことが何でもできるので、幸福感の高い生活を送っています。幸せは、金銭という尺度で決まらないことを、復興支援
東日本大震災のボランティアをきっかけに石巻に定住した魚谷さん。不安定な収入であっても、やりたいことが何でもできるので、幸福感の高い生活を送っています。幸せは、金銭という尺度で決まらないことを、復興支援
神戸生まれ、神戸育ちの魚谷さん。阪神淡路大震災を経験したものの、神戸の復興は傍観者のような気持ちで見ていました。ところが東日本大震災のボランティアで石巻へ来てから、若い世代が当事者として復興に関わるこ
東日本大震災のボランティアから蛤浜の再生に関わるようになった魚谷さん。海岸でのゴミ拾いや、廃材を使ったあずまやづくりの活動経験を通じて、これからの郷土を守るためには、一人一人の行動が必要だと訴えかけて
ため、「石巻海さくら」の活動も手伝っています。蛤里プロジェクトともコラボレーションで活動をしているそうです。
した魚谷さん。On the Roadを辞めたあと「蛤里プロジェクト」に加わりました。プロジェクトで最初に手がけたことはカフェ「はまぐり堂」をオープンすることでした。
東日本大震災で、On the Roadの、宮城代表だった魚谷さん。震災で被災したふるさとを再生したいという人と出会いました。この出会いをきっかけに魚谷さんは団体を辞め、牡鹿半島で最も小さな漁村の再生「
東日本大震災で、On the Roadの災害ボランティアとして活躍した魚谷さん。実は、この団体の活動に参加したボランティアには、石巻に定住する人が多いそうです。魚谷さん自身も石巻に住民票を移しています
東日本大震災の一般ボランティアとして、2週間の予定でOn the Roadの災害ボランティアに参加した魚谷さん。ところが半年後には住民票を移して石巻に定住しています。なぜ魚谷さんは石巻に残ったのか、お
2013年5月7日「復興ボランティア学」では、元・On the Road宮城代表の魚谷浩さんに登壇頂きました。On the Roadは、東日本大震災で延べ3万人の災害ボランティアを受けいれています。魚
東日本大震災の仮設住宅支援や復興起業家育成に10年間携わってきました。現在は震災復興に関する講座やワークショップを実施しています。ここでは、復興ボランティア学講座の記録をまとめて公開しています。